私立。1880年(明治13)法学教育を目ざして設置された東京法学社(翌年、東京法学社から分離・独立して東京法学校)を起源とする。民法典起草のため来日していたパリ大学教授ボアソナードを1883年に教頭に迎えた。1903年(明治36)専門学校令による財団法人「和仏法律学校法政大学」を経て、1920年(大正9)大学令によって法政大学となり、法学部と経済学部、大学予科、のちに法文学部を備えた総合大学への第一歩を踏み出す。1949年(昭和24)新制大学へ移行した。
2010年(平成22)時点で、法学部、文学部、経済学部、社会学部、経営学部、国際文化学部、人間環境学部、現代福祉学部、情報科学部、キャリアデザイン学部、デザイン工学部、理工学部、生命科学部、グローバル教養学部、スポーツ健康学部の15学部がある。ほかに人文科学、国際文化、経済学、法学、政治学、社会学、経営学、政策科学、環境マネジメント、工学、人間社会、情報科学、デザイン工学、政策創造、法務、イノベーション・マネジメントの各研究科を擁する大学院があり、総合大学となっている。通信教育部も併設。また、社会労働関係の資料を収める大原社会問題研究所、能楽研究所、ボアソナード記念現代法研究所、沖縄文化研究所などがある。1980年に創立100周年を迎えた。本部は東京都千代田区富士見2-17-1。
[喜多村和之]
『百年史編纂委員会編『法政大学百年史』(1980・法政大学)』
東京都千代田区富士見町に本部を置く私立大学。1880年,在野の法律家金丸鉄と伊藤修が東京駿河台に開設した東京法学社を起源とする。講法局と代言局を置き,フランス法を中心とした日本で最初の法律学校である。自由と進歩の学風を伝統とする。81年,講法局が独立して東京法学校となった。86年,仏学会(日仏協会の前身)によってフランス学を教授する東京仏学校が開設されたが,89年,両校は合併して和仏法律学校となり,校長に箕作麟祥(みつくりりんしよう)が就任した。1903年,専門学校令によって和仏法律学校法政大学と改称し,法律と政治の両学科を設けた。さらに20年,大学令で法政大学と改称,法文,経済の2学部のほか大学院,専門部などを設置した。第2次大戦後の49年に新制大学となり,通信教育部を開設,また大原社会問題研究所を合併し,2年後には中央労働学園大学を合併して社会学部を設置した。現在,法・文・経・工・経営・社会の6学部,夜間短大部,社会・人文・工学の3研究科の大学院をもつ総合大学である。
執筆者:大沢 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の大学ブランド商品」事典 日本の大学ブランド商品について 情報
1880年(明治13)に在野の法律家であった金丸鉄・伊藤修・薩埵正邦らが設立した東京法学社が起源。1889年に仏学会(日仏協会の前身)が設立した東京仏学校と合併して和仏法律学校と改称,1903年には専門学校令により財団法人和仏法律学校法政大学となる。1920年(大正9)には大学令のもとで財団法人法政大学となり,法学部,経済学部を擁す私立大学として公的認可を得た。戦後,工学部をはじめ学部を新設し,2016年(平成28)5月現在,東京都千代田区市ヶ谷のほか,多摩と小金井にもキャンパスを持ち,16学部15研究科,通信教育部,専門職大学院を擁する総合大学として,3万6064人(通信教育部を含む)の学生を収容する。開学以来のフランス法精神に基づく「自由と進歩」の精神を継承し,現在はとくに「自立的で人間力豊かなリーダーの育成」「最先端の研究の促進」「持続可能な地球社会への貢献」を具体化するためのビジョンを掲げ,教育研究活動を実施。2003年には日本初のキャリアデザイン学部が設置された。
著者: 戸村理
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