法華岳寺跡(読み)ほけだけじあと

日本歴史地名大系 「法華岳寺跡」の解説

法華岳寺跡
ほけだけじあと

[現在地名]国富町深年 法華岳

法華岳の中腹、標高約二七〇メートルの景勝地にあり、法華岳公園に隣接する。もと法華岳薬師寺とも称し、県下でも有名な古刹であった。松浦武四郎の「旅行手記」に「寺坊廿坊斗にて境内広し、日本三薬師の一ツなり」と記されるように、南九州薬師信仰の中心寺院であったが、慶応三年(一八六七)廃寺となった。現在の法華岳薬師寺は昭和四五年(一九七〇)に再建されたものである。寺内に安置された薬師如来と脇侍日光・月光の二像は木造で、南北朝時代の作とされ、県指定文化財。本尊薬師如来は日羅の作(最澄あるいは源恵の作とも)と伝え、脇立は日光・月光・十二神将・不動・毘沙門・仁王の一六体。

養老二年(七一八)山頂に音楽が聞え紫雲がたなびき、世人はこれを瑞喜の霊山と喜んだため高僧が山上に伽藍を建立。金峰山長喜ちようき院と号し、釈迦如来と薬師如来の尊像を安置し本尊としたという。延暦二四年(八〇五)唐から帰国した最澄は九州の古跡霊山を巡礼し、同二五年当地に来て両本尊を礼拝した。その後釈迦如来像は山頂に残し、薬師如来像を当道場に移して本堂・僧坊などを建立、また一八体の仏像を最澄自ら彫刻し、さらに山王・稲荷など当寺の鎮守も建立したという。これらの事業は同二五年から大同三年(八〇八)までに成就し、このとき山頂「恒ニ金気不絶故ニ」真金山法華岳寺と改称したと伝える(高岡名勝志)

鎌倉時代初期、近江から日向へ下向し嵐田あらしだ名を知行した佐々木(野村)盛蓮の孫慈意は、当寺の別当を勤め千僧供養、千部法華経の書写をしている(佐々木系図)。「高岡名勝志」所収の永禄八年(一五六五)八月二一日の鐘銘に「諸県庄真金山法華嶽禅寺」とあり、本願主として藤原朝臣伊東氏女・大神氏都甲外記介惟常らの名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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