日本大百科全書(ニッポニカ) 「法輪功事件」の意味・わかりやすい解説
法輪功事件
ほうりんこうじけん
1999年4月、中国の北京(ペキン)に法輪功関係者が集結し、中南海を取り囲む形で座り込みデモを深夜まで行った事件に端を発する、中国当局と法輪功との間の一連の攻防のこと。この中南海包囲事件は、天津(てんしん)で発行されている科学雑誌「青少年科技博覧」に中国科学院院士の「法輪功を迷信活動として青少年向けには禁止すべきだ」との批判論文が掲載されたことに対して、数十名の法輪功グループが発行元の天津市教育学院に押しかけ、抗議活動を始めたところ、天津市公安局和平分局が数名を拘禁したことに抗議し、その釈放を中南海(中国共産党や政府の要人)に求めたものである。
これは、中国の最高指導者らが住居、オフィスを構える中国の政治の中心にして最厳戒地域の中南海地区に、公安当局に事前に察知されることなく、1万人もの法輪功関係者が集結したこと、しかも参加者のなかには退職者など中高年齢層が数多く占めていたこと、またシュプレヒコールを叫ぶでもなく整然と隊列を組んで正座して、経典とされる「転法輪」を静かに唱えるのみという従来にはない特異な抗議スタイルから、大きな衝撃と危機感を指導部に与えた。しかも、気功グループを名のる法輪功への参加者が中国国内に7000万人、全世界では1億人ともされ、そこには多くの党・国家の幹部層や高学歴層も含まれていたことから、ただちに党・政府信訪弁公室名で「気功の名を借りて社会の安定を脅かす者は法に基づいて処分する」と断固たる対応を示した。
これに対して、法輪功は6月、インターネット上で創始者、李洪志(りこうし)(1951― )によるメモを発表、法輪功は政治、宗教とは無縁であり、不公正な対応を当局側が続けるならば、わが弟子たちがどこまで耐えられるかは不明、これこそが最大の不安だとして、当局への対決姿勢を明らかにした。7月には北京テレビ局に押しかけ、法輪功関連の番組放映を実力阻止するなど、南昌(なんしょう)、廊坊(ろうぼう)等各地で法輪功による抗議活動が頻発した。これに対し、民政部は7月、法輪功を非合法社会団体として、その存在自体を非合法化し、さらに公安部がインターポール(国際刑事警察機構)を通じ、在米の法輪功創始者、李洪志の逮捕状を請求した。10月末には、全国人民代表大会(全人代)常務委員会が「邪教組織を取り締まり、邪教活動を防止・処罰する決定」を採択し、最高人民法院・最高人民検察院も刑法上の「カルト組織」を「宗教、気功その他の名目で設立され、首謀者を神格化し、迷信邪説の作成・流布で社会に危害を与える不法組織」と定義し、刑法上の適用を厳罰化した。こうした全面対決姿勢から法輪功は反体制組織の色彩を強めており、一連の法輪功事件をめぐる攻防は宗教弾圧、人権弾圧という観点からの国際社会の注目を浴びた。
[菱田雅晴 2020年4月17日]