デジタル大辞泉 「洞春寺」の意味・読み・例文・類語 とうしゅん‐じ【洞春寺】 山口市にある臨済宗建仁寺派の寺。一時、万年寺とも称した。山号は正宗山。開創は元亀4年(1573)、開山は嘯岳鼎虎しょうがくていこ。毛利元就の菩提寺で、毛利輝元が建立。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「洞春寺」の意味・読み・例文・類語 とうしゅん‐じ【洞春寺】 山口市水の上町にある臨済宗建仁寺派の寺。山号は正宗山。元亀三年(一五七二)毛利輝元が毛利元就の菩提所として安芸国吉田(広島県安芸高田市)に創建。慶長年間(一五九六‐一六一五)萩城内に再興。明治二年(一八六九)現在地に移転。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「洞春寺」の解説 洞春寺とうしゆんじ 山口県:山口市上宇野令村洞春寺[現在地名]山口市水の上町古城(こじよう)ヶ岳の南麓、瑠璃光(るりこう)寺の南にあり、香山(こうざん)公園に隣する。正宗山と号し、臨済宗建仁寺派で本尊十一面観音。元亀四年(一五七三)祖父毛利元就の菩提寺として、芸州吉田(よしだ)(現広島県高田郡吉田町)に輝元が創建。開山は嘯岳鼎虎禅師。寺号は元就の法号日頼洞春大禅定門による。天正一五年(一五八七)十刹に列し、二千三〇〇余石を領した。毛利氏居城の広島移転に伴い、当寺も移転。関ヶ原の役後、毛利氏が防長二国を領するにあたり、寺も山口に再転、しばらく香積(こうしやく)寺を牌所としていたが、慶長一一年(一六〇六)萩城内に移った。文久三年(一八六三)藩庁が山口に移ると、寺も再び山口に戻り、当地にあった大通(だいつう)院を転じて洞春寺とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「洞春寺」の解説 洞春寺(第16番) (山口県山口市)「中国三十三観音霊場」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「洞春寺」の解説 洞春寺 山口県山口市にある臨済宗の寺院。戦国武将、毛利元就の菩提寺。観音堂、山門は国の重要文化財に指定されている。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by