日本歴史地名大系 「万年寺」の解説 万年寺ばんねんじ 埼玉県:大宮市片柳村万年寺[現在地名]大宮市片柳見沼代用水(東縁)西岸の台地上に位置する。曹洞宗。長昌山と号するが、古くは長松山と記したという。本尊釈迦如来。入間(いるま)郡龍谷(たつがや)村(現越生町)の龍穏(りゆうおん)寺末寺であった。創建は永正六年(一五〇九)で、龍穏寺七世節庵良が開いたという。開基は未詳。中興開基は旗本初鹿野伝右衛門昌吉で、寛永元年(一六二四)の没という(風土記稿)。当寺の初祖から五世までの事跡を記した万年寺五祖伝(曹洞宗全書)によると、節庵は足立郡岡部氏の出身で、文亀元年(一五〇一)龍穏寺六世の喜州玄欣に嗣法した。 万年寺まんねんじ 京都市:下京区稚松学区本塩竈町万年寺[現在地名]下京区本塩竈町留径山と号し、西山浄土宗。本尊は阿弥陀如来。弘治元年(一五五五)頂空の創建と伝えるが、その地は不詳。「坊目誌」は「或は云今云万年寺通烏丸の辺にありと」と記す。現下京区北(きた)町の辺りにあたる。現在地への移転は天正一九年(一五九一)豊臣秀吉の命によるもので、以後天明八年(一七八八)・元治元年(一八六四)の再度の大火に類焼。 万年寺まんねんじ 愛知県:名古屋市中区前津小林村万年寺[現在地名]中区大須三丁目祝峰山と号し、曹洞宗。本尊観世音菩薩像。「万松寺塔頭万年寺記」(「名古屋市史」社寺編)に「金城造営之時、加藤肥州大守清正、建私舎於本山(万松寺)境内而居焉、城成輸館、而師用之為、万年寺至于今存者是也、万年寺旧墟今在伝馬町之西乎」とあり、天文七年(一五三八)旧小桜(こざくら)町に建てられた万松(ばんしよう)寺塔頭。 万年寺ばんねんじ 茨城県:真壁郡関城町関本村万年寺[現在地名]関城町関本下曹洞宗、慶国山と号し、本尊は十一面観音。寺伝によれば、かつて花田(はなだ)村にあり真言宗に属していたが、天正一三年(一五八五)下妻の多宝(たほう)院四世独峯存雄を招請し、曹洞宗に改めたという(「過去帳」当寺蔵)。享保三年(一七一八)七月、徳川吉宗から「常陸国河内郡関本村之内弐拾石事、万年寺収納并寺中熊野宮山等免除」との朱印状(当寺蔵)を与えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by