小説家。和歌山市生まれ。本名津本寅吉(とらよし)。先祖は紀州藩の御用両替商で、維新後は炭問屋・材木商などを営んだという。東北大学法学部卒業後、大阪の肥料メーカーに13年間勤めるが、30代半ばに退職し郷里に戻る。その後は実家が所有する土地を売買するために不動産会社を設立、代表取締役に就任。そのかたわら小説を書く意思を固め、同人誌『VIKING』に参加する。それから苦節10年、1975年(昭和50)から1978年にかけて同誌に分載された『深重(じんじゅう)の海』(1978)が第79回直木賞を受賞する。明治11年(1878)末、百数十人の犠牲者を出した大量遭難事件と猖獗(しょうけつ)をきわめたコレラの被害に苦しむ、和歌山太地浦の捕鯨漁民たちの姿を、淡々としかし壮絶に描いた傑作であった。以後しばらくは『蟻の構図』(1974)、『恋の涯』(1979)、『土地相続人』(1979)、『わが勲(いさおし)の無きがごと』(1981)、『敗れざる教師』(1982)、『土地に向かって突進せよ』(1981)、『闇の蛟竜(こうりゅう)』(1981)など、犯罪・社会小説を中心とする創作が続いた。
その後の主たる仕事となっている剣豪・歴史小説の最初の作品は『明治撃剣会』(1982)で、これが第二次世界大戦後の第二次剣豪小説ブームの火付け役ともなった。津本はまた小学生時代から竹刀(しない)を握って剣道に親しみ、剣道三段、抜刀術五段であった。それだけに肉体の動きを基調とした剣戟(けんげき)場面の凄まじさは圧倒的な迫力をもち、新境地を開拓した。その後、『薩南示現(じげん)流』『塚原卜伝 (ぼくでん)十二番勝負』(1983)とこのジャンルの作品を次々と発表、『柳生兵庫助』(1986)では、剣による人間形成という教養小説の側面を持つ作品も生み出した。歴史小説の分野では、紀州の豪商紀伊国屋文左衛門の波瀾の人生を描いた『黄金の海へ』(1989)、8代将軍徳川吉宗の紀州時代を語る『南海の龍』(1983)、さらにその全生涯を描いた『大わらんじの男』(1994~1995)もある。しかし津本陽の真骨頂はやはり3人の戦国の覇者を題材にした、戦国三部作とでも呼べる作品群だ。絶対的なカリスマ性を持ち、乱世・戦国を疾風のごとく駆け抜けた織田信長の人間像に迫った『下天(げてん)は夢か』(1989)、本能寺の変で信長の死を知らされた秀吉が急ぎ帰京し、山崎の合戦をするあたりから筆を起こした『夢のまた夢』(1993~1994。吉川英治文学賞)、秀吉の死後に頭角を現す徳川家康の後半生を描く『乾坤(けんこん)の夢』(1997)と、いずれもベストセラーを記録した。
[関口苑生]
その後は新たに発見された史料をもとにした『龍馬』をはじめ、ジョン・万次郎、渋沢栄一、勝海舟など幕末動乱期から明治維新期の人物も描いた。
[編集部 2018年6月19日]
『『蟻の構図』(徳間文庫)』▽『『恋の涯』『南海の龍』(中公文庫)』▽『『土地相続人』『敗れざる教師』『塚原卜伝十二番勝負』『下天は夢か』『土地に向って突進せよ』(講談社文庫)』▽『『わが勲の無きがごと』『明治撃剣会』『薩南示現流』『柳生兵庫助』『夢のまた夢』『黄金の海へ』『大わらんじの男』『乾坤の夢』『闇の咬竜』(文春文庫)』▽『『深重の海』(新潮文庫)』▽『『龍馬』(角川文庫)』▽『縄田一男著『時代小説の読みどころ』(1991・日本経済新聞社)』▽『尾崎秀樹著『歴史・時代小説の作家たち』(1996・講談社)』
(2018-5-31)
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