浄心寺(読み)じようしんじ

日本歴史地名大系 「浄心寺」の解説

浄心寺
じようしんじ

[現在地名]三郷村大字小倉

ばくちり山の麓にある。浄土宗、知恩院末、山号一仏いちぶつ山。本尊阿弥陀如来像。もと鳴沢入なるさわいりのまる山にあったが、その後中村の浄心寺跡(郷蔵)に移り、火災に遭って現在地に移っている。開山は存連社唯称泉誉で、元和二年(一六一六)一一月一四日没。開基は小笠原貞政とされており、彼が小倉おぐら城主になったのは、天正一〇年(一五八二)以降であるから当寺が中村にあった頃かと思われる。

浄心寺
じようしんじ

[現在地名]江東区平野二丁目

霊巌れいがん寺・雲光うんこう院の南、江戸時代の山本やまもと町の西にある日蓮宗寺院。法苑山と号し、本尊は十界大曼荼羅。創立は万治元年(一六五八)で開山は通遠院日義、開基は浄心尼。浄心尼は小堀遠州政一の妾で、四代将軍徳川家綱の乳母を勤めた。

浄心寺
じようしんじ

[現在地名]東山区本町十丁目

本町ほんまち(伏見街道)東側に位置する。閻魔山、浄土宗西山禅林寺派。本尊阿弥陀如来は伝恵心(源信)作。天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図などに記される。天長二年(八二五)、空海の創建と伝えるが創建の地は明らかでない。初め真言宗。空海夢想の閻魔王像を本尊としたが寺運衰え、本尊を京都東寺(教王護国寺)に預けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報