浅野 長勲(読み)アサノ ナガコト

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「浅野 長勲」の解説

浅野 長勲
アサノ ナガコト


肩書
元老院議官,貴院議員

別名
幼名=喜代槌 別名=為五郎 長興 茂勲 号=坤山

生年月日
天保13年7月23日(1842年)

出生地
安芸国広島(広島県)

経歴
宗家浅野長訓の養嗣子となり、のち広島藩主長訓を補佐し、元治元年幕府の長征に中立を守り出兵拒否。慶応2年第2次長征には薩長芸3藩共同出兵を約束したが、土佐藩公議政体論にも賛同、長幕間の調整に尽力した。3年将軍慶喜に大政奉還勧告。明治2年襲封、広島藩主となり、のち広島藩知事。以後維新政府の会計事務総督、参与、議定。4年廃藩置県で東京移住。10年西郷隆盛を説得したが失敗、西南の役勃発。13年元老院議官、15年駐イタリア公使、17年帰国、侯爵、宮内省華族局長官、23年貴族院議員となった。また第十五銀行、浅野学校、徴古館、山中高等女学校などを創設、実業、文化面に活躍した。大名らしい風格で旧大名中最長命であった。

受賞
勲一等旭日大綬章〔明治23年〕 勲一等旭日桐花大綬章〔昭和3年〕

没年月日
昭和12年2月1日

家族
養父=浅野 長訓(広島藩主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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