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公議政体論 コウギセイタイロン

デジタル大辞泉の解説

こうぎ‐せいたいろん【公議政体論】

幕末、後藤象二郎坂本竜馬らによって提起された政権構想。諸藩・民間から俊才を登用して、全国的に政治の統合を図ろうとしたもの。

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百科事典マイペディアの解説

公議政体論【こうぎせいたいろん】

幕末・維新期,国事の決定過程を欧米の議会制の知識を導入して,権力の統合を図ろうとした構想をいう。幕末,幕府は国家的危機克服のため,公武合体論や諸侯会議論によって幕藩体制の立直しを図ったが,倒幕運動が進む中でヨーロッパ議会制の知識の導入による公議政体論が主張されるようになった。
→関連項目王政復古(日本)

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世界大百科事典 第2版の解説

こうぎせいたいろん【公議政体論】

幕末・維新期に,欧米の議会制の知識を導入し,会議制度によって権力の再編ないし新しい統一をはかろうとした国家権力構想をいう。外圧と幕藩体制の矛盾によって崩壊の危機に面した徳川幕府は,公議政体論によって権力の再編成(再集中)をはかろうとしたが,幕府倒壊後は天皇への新たな権力集中を企図した維新政府が,〈公議輿論〉をスローガンとした公議政体論の制度化によって,支配の拡大と正当化を試みた。 老中阿部正弘は1854年(安政1),国家的危機克服のため意見を諸侯・有司に問おうとした。

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大辞林 第三版の解説

こうぎせいたいろん【公議政体論】

幕末、諸侯・公卿・諸藩士の参加によって国政を議すべきことを主張した論。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

公議政体論
こうぎせいたいろん

幕末期の国家権力構想の一つ。欧米の議会制度の知識を借りて、崩壊に直面した幕藩体制の再編強化を図ろうとして生み出された。文久(ぶんきゅう)期(1861~64)の公武合体論や諸侯会議論などの延長線上で、慶応(けいおう)期(1865~68)には、欧米の議会の上院・下院になぞらえて、諸侯や有能な藩士を議員とする議会設置を盛り込んだ新しい統一国家が構想された。坂本龍馬(りょうま)の「船中八策」、西周(あまね)の「議題草案」、津田真道(まみち)の「日本国総制度」などは、いずれもこの公議政体論を取り入れており、当時としてはもっとも具体的な政権構想であった。とくに西の草案では、その頂点に「大君(たいくん)」を置き、第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)をあてようとしていた。慶喜がいわゆる大政奉還をしたのは、いずれはこの「大君」の位置につけるという見通しがあったからだ、といわれている。しかし、現実には戊辰(ぼしん)戦争による敗退で、権力の頂点には天皇が登場した。[田中 彰]

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世界大百科事典内の公議政体論の言及

【列藩会議論】より

…歴史的には,公武合体論を継承しつつ,尊王攘夷ないし尊王討幕論に対抗して展開され,慶応年間(1865‐68)には新しい政体の構想という性格を帯びる。これを公議政体論と呼ぶ人もある。1867年(慶応3)に土佐藩が将軍徳川慶喜に大政奉還を働きかけ,慶喜がこれを受け入れて大政奉還に踏み切った背後には,この構想があった。…

※「公議政体論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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