日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅間嶽」の意味・わかりやすい解説
浅間嶽
あさまがたけ
歌舞伎(かぶき)舞踊、音曲の一系統。原拠は、1698年(元禄11)京都・山下座で大当りをした初世中村七三郎自作自演の『傾城(けいせい)浅間嶽』で、小笹巴之丞(おざさともえのじょう)が愛人の傾城奥州(おうしゅう)と取り交わした起請を焼くと、煙の中から奥州の霊が現れて恨みを述べるくだりがある。この趣向が評判になり、後世多くの舞踊、音曲に扱われた。同巧異曲のものに近松門左衛門が『傾城反魂香(はんごんこう)』で用いた反魂香の趣向があり、これから影響を受けた作もあるが、たいていは題名に「――浅間嶽」とつけられているので、総括して「浅間物」という。代表曲として、一中節(いっちゅうぶし)に原武太夫(はらぶだゆう)の作曲といわれる『夕霞(ゆうがすみ)浅間嶽』(1734初演)をはじめ『家桜傾城姿(いえざくらけいせいすがた)』(1736)、『傾城浅間嶽』(初世桜田治助作詞。1792)があり、河東(かとう)節に『恋桜(こいざくら)反魂香』(1751)、富本に『其俤(そのおもかげ)浅間嶽』(1779)、清元に『初霞(はつがすみ)浅間嶽』(1834)などがある。なお小説に柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の読本(よみほん)『浅間嶽面影草紙(おもかげそうし)』(1809)があり、河竹黙阿弥(もくあみ)の『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』(1864)はその劇化である。
[松井俊諭]