浜ノ町(読み)はまのまち

日本歴史地名大系 「浜ノ町」の解説

浜ノ町
はまのまち

[現在地名]中央区舞鶴まいづる三丁目

ほん町の北に位置し、東西に延びる両側町。南側は町人町、北側は武家町で、北は博多湾に臨む(以上、福岡博多近隣古図)。浜手の方には石垣があった(「福岡藩御用帳」天明六年四月一四日条)。西側の通りを八百屋やおや町、東側の通りを黒茶くろちや町、中の通りを新道、海浜に出る所を唐渡口と称した(地理全誌)。「筑陽記」は浜ノ町の町名について「按ニ元文以前ハたはこ町ト云。此所も煙草町なるへし。


浜ノ町
はまのまち

[現在地名]弘前市浜の町東はまのまちひがし一丁目・浜の町西はまのまちにし一―三丁目

城の北西に位置し、岩木川西岸にあり、岩木川の船渡場から北西鰺ヶ沢あじがさわ(現西津軽郡鰺ヶ沢町)へ向かう道筋町並外瀬とのせ村・石渡いしわたり村に接する。

慶安二年(一六四九)津軽領分大道小道磯辺路并船路之帳(八木橋文庫蔵)によれば、高杉たかすぎから弘前城下へ向かう道筋で「岩木川枝川広さ四拾五間、深さ弐尺三寸五分、歩渡少々、水増ても船渡、弘前宿はつれに有」とあって、枝川とは当時駒越こまごし川とよばれた岩木川、弘前宿は紺屋こんや町をさすと思われ、町内はまだ町割がされていなかった。


浜の町
はまのまち

[現在地名]本荘市浜の町

本荘城下町の南西端にあり、かた町の西隣である。近世には古雪ふるゆき町の西端にあたり、川原役所があり、船を検査し運上を納めさせた。明治八年(一八七五)からは浦役場となり、入船の事務をとった(本荘町志)。明治以降浜の町に造船所が造られ、六〇〇―七〇〇石積みの和船を造った(羽陰温故誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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