海部城跡(読み)かいふじようあと

日本歴史地名大系 「海部城跡」の解説

海部城跡
かいふじようあと

[現在地名]海部町奥浦

海部川河口の独立した小山に築かれた山城の跡。とも城ともいう。標高五〇メートル。慶長年間(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図などによれば、城域は二筋の流路により川中島の形状を呈しており、寛永一五―一八年(一六三八―四一)頃の作製と推定される阿波国大絵図ではその島部に「海部古城」と記されている。往時城下良港を擁する海城であった。遺構の残存状況は良好であるが、北東山裾採石により削り取られ、また第二次世界大戦中の塹壕跡・砲台跡などがみられる。城山は全体に急斜面でやせ尾根であるため、曲輪は小規模なものが散在する形態となっている。本丸の南側二段目の曲輪付近では東西に延びた山尾根を土塁に成形して連結する特異な遺構があり、その南方の曲輪は最も広い規模で、井戸がみられる。この曲輪から西に突き出した尾根にも尾根土塁状に成形した跡があるので、その西端にも曲輪があったと推定される。近世初期の改築により所々に石垣がみられるが、石は全体に小さいものが多く、また瓦片も散見できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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