海野普吉(読み)ウンノ フキチ

20世紀日本人名事典 「海野普吉」の解説

海野 普吉
ウンノ フキチ

大正・昭和期の弁護士



生年
明治18(1885)年8月29日

没年
昭和43(1968)年7月6日

出生地
静岡県静岡市

別名
通称=海野 晋吉(ウンノ シンキチ)

学歴〔年〕
東京帝大独法科〔大正3年〕卒

経歴
大正3年東大卒業とともに弁護士となる。以来、一貫して在野の弁護士の職にあった。戦前は、人民戦線事件、企画院事件、横浜事件など治安維持法事件の第一人者として活躍。戦後松川事件砂川事件昭和電工疑獄事件などの主任弁護人をつとめ、晩年人権運動を提唱、その主柱となった。第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会会長、自由人権協会会長、全国選管委員長もつとめた。著書に「人権の法律相談」「ある弁護士の歩み」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「海野普吉」の意味・わかりやすい解説

海野普吉 (うんのしんきち)
生没年:1885-1968(明治18-昭和43)

弁護士。静岡県出身。東大卒。昭和初期から第2次大戦中および戦後を通じて一貫して人権擁護のため尽力した。とくに,昭和初期から戦時下にかけて河合栄治郎事件,人民戦線事件,唯物論研究会事件,企画院事件,津田左右吉事件,横浜事件など数多くの思想弾圧事件の弁護を敢然として行った。戦後も,松川事件や砂川事件などの弁護に当たるとともに,日本社会党結成(1945,顧問),自由人権協会創立(1947,初代理事長),総評弁護団結成(1957,初代会長),日本民主法律家協会設立(1961,代表理事)にも関与し,人権闘争,原水爆禁止運動,沖縄問題などに取り組み活躍した。なお,普吉という名前は晋吉という届出を戸籍係が誤記したものという。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海野普吉」の解説

海野普吉 うんの-しんきち

1885-1968 大正-昭和時代の弁護士。
明治18年8月29日生まれ。政治・思想事件裁判の弁護にあたる。昭和22年自由人権協会を設立,理事長となる。戦前は三・一五事件,人民戦線事件,横浜事件など,戦後は松川事件,砂川事件などの弁護を担当。昭和43年7月6日死去。82歳。静岡県出身。東京帝大卒。著作に「ある弁護士の歩み」「人権の法律相談」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「海野普吉」の解説

海野 普吉 (うんの ふきち)

生年月日:1885年8月29日
大正時代;昭和時代の弁護士。第二東京弁護士会会長;自由人権協会会長
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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