戦時中から終戦直前にかけての神奈川県の特高警察による言論弾圧事件の総称。雑誌「改造」に掲載された論文を共産主義の宣伝とし、富山県の旅館での出版記念会を共産党再建準備会議とみなして、治安維持法違反容疑で改造や中央公論の編集者ら約60人を逮捕した。過酷な取り調べで4人が死亡。30人以上が起訴され、大半は終戦直後に有罪判決を受けた。拷問した警察官3人は戦後有罪が確定した。
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太平洋戦争下に特別高等警察によってでっち上げられた最大の言論弾圧事件。1942年(昭和17)総合雑誌『改造』8~9月号に掲載された細川嘉六(かろく)の論文「世界史の動向と日本」は、内務省の事前検閲は通過していたが、陸軍報道部長谷萩那華雄(やはぎなかお)(1895―1949、戦犯として刑死)によって共産主義宣伝論文であると批判された。これをきっかけとして神奈川県特高は細川を検挙、さらに細川の知人や関係者が次々と検挙された。その検挙者の一人の家で1枚の写真が発見された。写真は、細川が『改造』『中央公論』『東洋経済新報』などの編集者や満鉄(南満州鉄道)調査部の人々と郷里の富山県泊(とまり)町(現朝日町)へ旅行したときのもので、神奈川県特高はこの会合を「泊共産党再建事件」としてフレームアップ(捏造(ねつぞう)、でっち上げ)し、編集者や調査員を続々検挙した。細川検挙に前後して、世界経済調査会の川田寿(ひさし)(1905―79)夫妻もアメリカ共産党と関係ありとして検挙され、さらに細川の関係していた昭和塾関係者も検挙された。これらの事件を口実として44年、改造社、中央公論社は軍閥政府から強制的に解散させられた。さらに日本評論社や岩波書店の編集者も検挙された。自白を強いる拷問は凄惨(せいさん)を極め、獄中死者、出獄直後の死者は4名を数えた。
治安維持法違反で摘発された約60名のうち半数が起訴のうえ有罪となり、敗戦の年(1945)9~10月に懲役2年、執行猶予3年の判決で釈放された。元被告たちは、拷問した元特高警察官を告訴したが、有罪となったのは3名だけで、その警察官も投獄されなかった。戦後復刊された『改造』は1955年(昭和30)廃刊、『中央公論』は60年に『風流夢譚(むたん)』事件などで編集方針を後退させた。横浜事件と特高弾圧に関する記録は被害者によって精力的に書かれ、治安維持法や特高の恐ろしさを伝えた。86年末には元被告のなかの『改造』『中央公論』編集者たちが横浜事件の再審を裁判所に要求する運動を始めた。1994年(平成6)にも再審請求をしたが、いずれも「当時の訴訟記録が存在しない」などを理由に棄却された。98年には第三次再審請求が出され、「ポツダム宣言に違反する治安維持法は8月14日のポツダム宣言の受諾と同時に失効した」、その効力を失った法を根拠に有罪判決をすることはできない、「無罪、もしくは刑の廃止があったとして免訴を言い渡すべきだった」として、裁判のやり直しを求めている。1945年の判決から半世紀以上を経て元被告人の多くは亡くなった。第三次の請求人6人のうち元被告本人は1人であったが、その1人も2003年3月末に亡くなった。それから半月後の4月15日、第三次再審請求に対して、横浜地方裁判所は、再審の開始を認める決定を出した。同地裁は、「ポツダム宣言受諾によって同法は実質的に効力を失っており、元被告らには免訴を言い渡すべき理由があった」とし、法令適用の誤りを理由に再審開始を認めたのである。
[松浦総三]
『松浦総三著『戦時下の言論統制』(1975・白川書院新社)』▽『美作太郎ほか著『横浜事件』(1977・日本エディタースクール出版部)』▽『中村智子著『横浜事件の人びと』増補版(1979・田畑書店)』▽『木村亨著『横浜事件の真相――つくられた「泊会議」』(1982・筑摩書房)』▽『畑中繁雄・梅田正己著『日本ファシズムの言論弾圧抄史――横浜事件・冬の時代の出版弾圧』(1986・高文研)』▽『青山憲三著『横浜事件 元「改造」編集者の手記』(1986・希林書房)』▽『笹下同志会編『横浜事件資料集』(1986・東京ルリユール)』▽『神奈川新聞社編・刊『「言論」が危うい――国家秘密法の周辺』(1987・日本評論社発売)』▽『海老原光義著『横浜事件――言論弾圧の構図』(1987・岩波書店)』▽『小野貞・気賀すみ子著『横浜事件・妻と妹の手記』(1987・高文研)』▽『森川金寿著『細川嘉六獄中調書――横浜事件の証言』(1989・不二出版)』▽『小泉文子著『もうひとつの横浜事件――浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』(1992・田畑書店)』▽『小野貞・大川隆司著『横浜事件――三つの裁判』(1995・高文研)』▽『横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク編『世紀の人権裁判 横浜事件の再審開始を!』(1999・樹花舎・星雲社発売)』▽『木村亨著、松坂まき編『横浜事件 木村亨全発言』(2002・インパクト出版会)』
太平洋戦争下の特高警察による,研究者や編集者に対する言論・思想弾圧事件。1942年,総合雑誌《改造》8,9月号に細川嘉六論文〈世界史の動向と日本〉が掲載されたが,発行1ヵ月後,大本営報道部長谷萩少将が細川論文は共産主義の宣伝であると非難し,これをきっかけとして神奈川県特高警察は,9月14日に細川嘉六を出版法違反で検挙し,知識人に影響力をもつ改造社弾圧の口実をデッチ上げようとした。しかし,細川論文は厳重な情報局の事前検閲を通過していたぐらいだから,共産主義宣伝の証拠に決め手を欠いていた。そこで特高は細川嘉六の知友をかたっぱしから検挙し始め,このときの家宅捜査で押収した証拠品の中から,細川嘉六の郷里の富山県泊町に《改造》《中央公論》編集者や研究者を招待したさい開いた宴会の1枚の写真を発見した。特高はこの会合を共産党再建の会議と決めつけ,改造社,中央公論社,日本評論社,岩波書店,朝日新聞社などの編集者を検挙し,拷問により自白を強要した(泊共産党再建事件)。このため44年7月,大正デモクラシー以来リベラルな伝統をもつ《改造》《中央公論》両誌は廃刊させられた。一方,特高は弾圧の輪を広げ,細川嘉六の周辺にいた,アメリカ共産党と関係があったとされた労働問題研究家川田寿夫妻,世界経済調査会,満鉄調査部の調査員や研究者を検挙し,治安維持法で起訴した。拷問によって中央公論編集者2名が死亡,さらに出獄後2名が死亡した。その他の被告は,敗戦後の9月から10月にかけて一律に懲役2年,執行猶予3年という形で釈放され,《改造》《中央公論》も復刊された。拷問した3人の特高警察官は被告たちに人権じゅうりんの罪で告訴され有罪となったが,投獄されなかった。
執筆者:松浦 総三
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太平洋戦争下の言論弾圧事件。1942年(昭和17)雑誌「改造」の8・9月号に掲載された細川嘉六(かろく)の論文「世界史の動向と日本」が共産主義の宣伝にあたるとして,神奈川県特高課は9月14日細川を検挙。さらに細川と交遊のあった日本評論社・岩波書店など自由主義的な出版社の編集者・左翼運動家などを治安維持法違反で検挙,自白を強要して共産党再建の謀議を捏造(ねつぞう)した。「改造」「中央公論」は廃刊,拷問により4人が死亡した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…改造社は《女性改造》(1922‐24,46‐51),《文芸》(1933‐44)などの雑誌も発行したほか,単行本の出版もし,いわゆる円本時代の端緒をひらき,29年には《改造文庫》を発刊した。戦時期には《改造》42年8・9月号に掲載された情報局検閲済みの細川嘉六の論文〈世界史の動向と日本〉が陸軍報道部に摘発され,〈横浜事件〉の捏造(ねつぞう)につながった。以後改造社への軍部の圧力が強まり,編集部員が入れかえられ社会批判の姿勢をくずすが,44年6月同社は解散,6月号かぎり《改造》も休刊した。…
※「横浜事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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