山城(やましろ)国八坂郷に建立され、いまなお観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の霊験(れいげん)をもってたたえられる京都清水寺の縁起。同名のものが3種あり、第一は、『群書類従』『大日本仏教全書』『国文東方仏教叢書(そうしょ)』にも収められるもので、藤原明衡(あきひら)撰(せん)と表示するが、その明証は得られない。短編ながら清水寺草創の事情を要領よく述べている。その内容は、報恩大師の弟子で山岳巡歴に励んだ僧延鎮(えんちん)が、山城国愛宕(おたき)郡八坂郷に至ったとき、観世音菩薩を念ずる行者行叡(ぎょうえい)に会って霊異を体験し、のちにここで狩猟の途に水を求めてやってきた将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に会い、その帰依(きえ)を得、2人で協力して798年(延暦17)金色の十一面四十手観世音菩薩をつくって仮(かり)宝殿に安置したのが、清水寺の始まり、というものである。
第二は、前記の内容をさらに詳しく述べ、寺に賜った勅書や官符の類をも掲げ、「本願檀那大納言(だんなだいなごん)田村麻呂事」と題してその功績を詳述したものも付してある。清水寺に2本同じものを蔵し、原本と写本とおぼしく、後者には1624年(寛永1)良恕(りょうじょ)法親王の書写奥書がある。『続群書類従』に収める。第三は、清水寺縁起絵巻から詞書(ことばがき)だけを抄録したもので、『清水寺仮名縁起』とよばれる。
[萩原龍夫]
この創建の由来と、これにまつわる霊験譚(たん)を描いた3巻の絵巻が東京国立博物館に所蔵され、「せいすいじえんぎ」とよばれている。上巻は開祖延鎮和尚(おしょう)による本寺の草創、および坂上田村麻呂の蝦夷(えぞ)征伐、中巻は田村麻呂の蝦夷平定から清水寺仏殿の改築など、そして下巻は本尊観世音菩薩の霊験の数々を描く。1517年(永正14)一条院良誉の発願で制作されたもので、絵は土佐光信(みつのぶ)、詞書は三条西実隆(さねたか)、中御門宣胤(なかみかどのぶたね)、甘露寺元長の手になる。絵は光信晩年のものであり、室町末期の大和絵(やまとえ)の一典型を示している。
[村重 寧]
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