精選版 日本国語大辞典 「清江」の意味・読み・例文・類語
せい‐こう‥カウ【清江】
- 〘 名詞 〙 流れの清い川。きれいな水の川。
- [初出の実例]「行客近起清江北、御覧煙鳴水刷鴎」(出典:文華秀麗集(818)下・水上鴎〈仲雄王〉)
- [その他の文献]〔何遜‐初発新林詩〕
中国,江蘇省中北部の市。淮陰(わいいん)地区の中心。俗称として淮陰ともいうが,淮陰県は市とは別に,王営鎮に置かれている。民国時代は市街地は清江浦鎮といい,淮陰県に属していた。1951年,鎮を市として独立させ,58年には淮陰県と合併して淮陰市としたが,64年再び県市を分離し,県は郊区を管轄することになった。淮河と大運河の交差する地点にあって,水運の要衝として栄えたが,現在は水運の衰退とともに地方の中心都市になっている。運河の形成される以前にも,淮河の南岸にあって,春秋時代から江南より北方へ至る通路であった。漢代,淮陰県が置かれ,建国の功臣韓信を楚王として淮陰侯に封じたところである。晋代には広陵郡治となり,南北朝期には南北両勢力の拮抗する軍事上の要地であった。しかし広域行政の中心は,東の淮安に移り,隋代には山陽郡(のちの楚州,治は淮安)に編入された。一方,宋代に淮安より淮河に至る清江浦(沙河)が築かれ,その河口は水運の中心として発展した。そしてここに清河県が置かれると,淮陰県は廃れ,元代には清河県に併入され,清代に至るまで清河県と呼ばれた。民国になってこの県を淮陰の古名で呼ぶようになったもので,漢以来の県域は市の南西,少し離れたところにある。
執筆者:秋山 元秀
中国,江西省中央部の県。宜春地区に属する。南昌より贛江(かんこう)をさかのぼった南岸にある。樟樹鎮の名でも知られる。贛江の下流と中流の境にあり,鄱陽(はよう)湖を中心とする平野の南辺にあり,江西省中央の交通の中心である。そのため早く漢代から新淦(しんかん)県が置かれ,南方進出の軍事基地として都尉の治所であった。その後,隋代に新淦県はより南へ移転し,この地のやや西に,五代南唐になって清江県が置かれた。樟樹鎮は県治の有無にかかわらず経済・交通の中心として発展し,河口・景徳と並んで江西三鎮と呼ばれた。とくに江西の特産品である薬材は,南北からここの集中し,薬材,アヘンの集散地として全国に知られた。
執筆者:秋山 元秀
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中国、江蘇(こうそ)省中部にある淮陰(わいいん)市の旧称。
[編集部]
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…そのため早く漢代から新淦(しんかん)県が置かれ,南方進出の軍事基地として都尉の治所であった。その後,隋代に新淦県はより南へ移転し,この地のやや西に,五代南唐になって清江県が置かれた。樟樹鎮は県治の有無にかかわらず経済・交通の中心として発展し,河口・景徳と並んで江西三鎮と呼ばれた。…
…淮陰県が市とは別に,王営鎮に置かれている。民国時代は市街地は清江浦鎮といい,淮陰県に属していた。1951年,鎮を清江市として独立させ,58年には淮陰県と合併して淮陰市としたが,64年再び県市を分離し,県は郊区を管轄することになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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