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清渓 せいけい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清渓 せいけい

?-1382 南北朝時代の尼僧。
畠山家国の娘。鎌倉公方(くぼう)足利基氏(もとうじ)と結婚し,氏満(うじみつ)を生む。円覚寺の方外宏遠,義堂周信に師事し,貞治(じょうじ)6=正平(しょうへい)22年夫の死を機に出家。鎌倉の臨済宗(りんざいしゅう)太平寺を中興し,その長老となる。のち同寺は鎌倉尼五山の筆頭におかれた。永徳2=弘和(こうわ)2年6月4日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清渓

没年:永徳2/弘和2.6.4(1382.7.15)
生年:生年不詳
南北朝期の臨済宗の尼。畠山家国の娘。鎌倉公方足利基氏の執事を務めた国清の妹に当たる。延文3/天正13(1358)年ごろ,基氏に嫁し,氏満を生んだ。早くから禅に心を寄せ,円覚寺黄梅院開山の方外宏遠,次いで円覚寺住持の義堂周信のもとに参禅していたが,貞治6/正平22(1367)年,夫に死に別れたのを機に正式に出家。鎌倉時代に尼妙法によって開かれた太平寺を中興し,その長老となった。以後,太平寺の寺格は急激に高まり,鎌倉尼五山制定に際して筆頭の地位を得たのも,清渓の入寺によるところが大きかったと思われる。<参考文献>『報国寺過去帳』,三山進『太平寺滅亡―鎌倉尼五山秘話―』

(牛山佳幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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