清瀬市(読み)キヨセシ

デジタル大辞泉 「清瀬市」の意味・読み・例文・類語

きよせ‐し【清瀬市】

清瀬

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「清瀬市」の解説

清瀬市
きよせし

面積:一〇・一九平方キロ

都の中部北端に位置し、北は柳瀬やなせ川を隔てて埼玉県所沢市、東は同県新座にいざ市、南は東久留米市、西は東村山市に接する。武蔵野台地北東端手前約一五キロ付近の平坦部にあり、市域は南西から北東に長くおよそ六・五キロ、南北約二キロ、周囲一七・二キロの狭長の地で、その長軸は台地の傾斜と向きを同じくし、平坦とはいえ西方の東村山市に接する竹丘たけおかで標高六五メートル、北東の下宿したじゆくで二〇メートルという西高東低の地形をなしている。市域北部を流れる柳瀬川流域にわずかな沖積低地があるが、その南に崖や急な傾斜地が続き、段丘の上には洪積台地が広がっている。南部の新座市との境界近くに西武池袋線清瀬駅が、西部の所沢市・東村山市と接する地点に同線秋津あきつ駅がある。JR武蔵野線が北東部を東西に横切っているが、市域に駅はない。道路は南西から北東へ志木街道(主要地方道浦和―東村山線)が、西部を南北に小金井街道(主要地方道府中―清瀬線・練馬―所沢線)が貫いている。北東部を関越自動車道が通るが、市域にインターチェンジはない。近世以来、江戸とこの地域を結んだ清戸きよと道は市域では幹線道路としての役割を終えている。

〔原始〕

旧石器時代の遺跡は強清水こわしみず遺跡・野火止野塩のびどめのしお遺跡・伊勢いせ遺跡などで、いずれもナイフ形石器が出土。このうち伊勢遺跡は台地上に入り込んだ川跡の窪地縁辺に立地しており、一六点の接合石材も発見されている。縄文時代の遺跡は中期が主体であるが、野火止野塩遺跡では早期の条痕文系土器を伴う炉跡を検出。前期は土器片が採集されている程度で、集落跡は確認されていない。中期の遺跡は柳瀬川から空堀からぼり川にかけての台地上に分布しており、同川流域には崖下に形成された豊富な湧水を抱き込む拠点的大規模集落の存在が予想される。その継続期間は勝坂式期の中葉から加曾利E式期の後葉と思われ、野塩外山のしおそとやま遺跡・野塩前原のしおまえはら遺跡は遺跡自体の保存状態が良好なため、壁高が一メートル以上残存している住居跡も多く、住居構造や廃棄物の状況が微細に観察されている。とくに野塩前原遺跡では発見された六軒の住居跡から出土した遺物群のなかに、異なる住居間で接合の確認されているものも多く、遺物によって廃棄行動を知るうえで注目される。両遺跡は出土土器の質・量に優れ、当該期の型式変遷を一定地域のなかで詳細に究明できる内容を有しているが、近年実施された野塩前原東遺跡の調査によって加曾利E式期の伏甕を伴う土坑群も確認され、これら集落の後背に墓域が形成されていたことも明らかとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清瀬市」の意味・わかりやすい解説

清瀬〔市〕
きよせ

東京都西部,埼玉県に接する市。 1954年町制,1970年市制施行。武蔵野台地一角を占め,米作畑作を主とする純農村であったが,第2次世界大戦後,宅地化が進展。特に,1960年代以降,旭ヶ丘団地をはじめ,多くの住宅団地が建設され,東京の近郊住宅地となっている。市域南西部は結核療養所が多いところとして知られ,療養所病院,研究所が集中している。西武鉄道池袋線が通る。面積 10.23km2。人口 7万6208(2020)。

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