清瀬(読み)キヨセ

デジタル大辞泉 「清瀬」の意味・読み・例文・類語

きよせ【清瀬】

東京都中北部の市。西武池袋線が通じる住宅都市。東京病院(旧国立療養所)などがある。人口7.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「清瀬」の意味・読み・例文・類語

きよ‐せ【清瀬】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 清らかな流れの、水の浅い部分。美しい川の瀬。〔藻塩草(1513頃)〕
  2. [ 2 ] 東京都中北部の地名。西武鉄道池袋線が通じ、第二次世界大戦後住宅都市として発展。国立療養所・結核予防会結核研究所など医療施設が多い。昭和四五年(一九七〇市制

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清瀬」の意味・わかりやすい解説

清瀬(市)
きよせ

東京都中北部、埼玉県に接する市。1970年(昭和45)市制施行。市名は、北境に新河岸(しんがし)川の支流柳瀬(やなせ)川が流れ、また字(あざ)名に清戸(きよと)があり、その合成といわれる。武蔵野(むさしの)台地上にあり、水に乏しく、南境付近の野火止用水(のびどめようすい)によって開発が進められた。西武鉄道池袋線が通じる。平地林が残り、閑静で空気のよい環境は、1931年(昭和6)ごろから府立清瀬病院をはじめとして結核療養地として利用されるようになった。1939年には陸軍傷痍(しょうい)軍人療養所が開かれ、医療施設は17に及んだ。現在も結核に関する研究や対策支援などを行う結核予防会結核研究所をはじめとして、国立病院機構東京病院、救世軍清瀬病院など、多数の医療施設があるほか、気象衛星の運用・通信・配信業務などを行う気象庁気象衛星センター、日本社会事業大学(1989年渋谷区より移転)が立地している。なお住宅団地も多く東京の衛星都市の一つでもある。日枝神社(ひえじんじゃ)で行われる清戸の獅子舞(ししまい)(市指定無形民俗文化財)や火の花祭が郷土芸能として残る。面積10.23平方キロメートル、人口7万6208(2020)。

沢田 清]


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改訂新版 世界大百科事典 「清瀬」の意味・わかりやすい解説

清瀬[市] (きよせ)

東京都北部,北多摩最北端の近郊都市。北西を流れる柳瀬川を境に埼玉県所沢市と接する。1970年市制。人口7万4104(2000)。柳瀬川に面する台地上には先史時代の遺跡が残るが,集落の発生は平安中期以降で,近世には一時志木街道の要地として市が立つなどにぎわったが,昭和初期までは純農村であった。1924年に西武池袋線清瀬駅が開設されると,清瀬は東京の近郊住宅地としての発展を始めた。第2次大戦中の疎開者,戦後の引揚者の流入,さらに昭和30年代以降の都営住宅団地の建設などで人口がふえ,とくに昭和40年代以降の増加がめざましい。また都心から北西へ25kmという適度の距離,広大な松林や新鮮な空気,静かな環境という条件を生かし,1931年の東京府立清瀬病院の開設以来,結核療養所を中心に多くの医療機関が集まり,西武線南側に国立療養所東京病院(現,独立行政法人の国立病院機構・東京病院),結核研究所付属療養所(現,複十字病院)など10をこえる病院・療養所地区が形成されている。
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百科事典マイペディア 「清瀬」の意味・わかりやすい解説

清瀬[市]【きよせ】

東京都中部北端の市。1970年市制。柳瀬川の谷と武蔵野台地にまたがる。昭和初期までは,麦,野菜を産する近郊農村であったが,1931年以後東京府立清瀬病院など結核療養所が多く進出,独特の病院地区になった。西武池袋線が通じ,昭和30年代以降都営住宅団地などが建設され,住宅地化が著しい。10.23km2。7万4104人(2010)。
→関連項目日本社会事業大学

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普及版 字通 「清瀬」の読み・字形・画数・意味

【清瀬】せいらい

清湍。

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