東京都中北部、埼玉県に接する市。1970年(昭和45)市制施行。市名は、北境に新河岸(しんがし)川の支流柳瀬(やなせ)川が流れ、また字(あざ)名に清戸(きよと)があり、その合成といわれる。武蔵野(むさしの)台地上にあり、水に乏しく、南境付近の野火止用水(のびどめようすい)によって開発が進められた。西武鉄道池袋線が通じる。平地林が残り、閑静で空気のよい環境は、1931年(昭和6)ごろから府立清瀬病院をはじめとして結核療養地として利用されるようになった。1939年には陸軍傷痍(しょうい)軍人療養所が開かれ、医療施設は17に及んだ。現在も結核に関する研究や対策支援などを行う結核予防会結核研究所をはじめとして、国立病院機構東京病院、救世軍清瀬病院など、多数の医療施設があるほか、気象衛星の運用・通信・配信業務などを行う気象庁気象衛星センター、日本社会事業大学(1989年渋谷区より移転)が立地している。なお住宅団地も多く東京の衛星都市の一つでもある。日枝神社(ひえじんじゃ)で行われる清戸の獅子舞(ししまい)(市指定無形民俗文化財)や火の花祭が郷土芸能として残る。面積10.23平方キロメートル、人口7万6208(2020)。
[沢田 清]
東京都北部,北多摩最北端の近郊都市。北西を流れる柳瀬川を境に埼玉県所沢市と接する。1970年市制。人口7万4104(2000)。柳瀬川に面する台地上には先史時代の遺跡が残るが,集落の発生は平安中期以降で,近世には一時志木街道の要地として市が立つなどにぎわったが,昭和初期までは純農村であった。1924年に西武池袋線清瀬駅が開設されると,清瀬は東京の近郊住宅地としての発展を始めた。第2次大戦中の疎開者,戦後の引揚者の流入,さらに昭和30年代以降の都営住宅団地の建設などで人口がふえ,とくに昭和40年代以降の増加がめざましい。また都心から北西へ25kmという適度の距離,広大な松林や新鮮な空気,静かな環境という条件を生かし,1931年の東京府立清瀬病院の開設以来,結核療養所を中心に多くの医療機関が集まり,西武線南側に国立療養所東京病院(現,独立行政法人の国立病院機構・東京病院),結核研究所付属療養所(現,複十字病院)など10をこえる病院・療養所地区が形成されている。
執筆者:井内 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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