清色城跡(読み)きよしきじようあと

日本歴史地名大系 「清色城跡」の解説

清色城跡
きよしきじようあと

[現在地名]入来町浦之名、樋脇町塔之原

樋脇ひわき(清色川とも)左岸、標高九八メートルを最高地点とする南東から北西に延びたシラス台地北東に突き出た部分に築かれた山城。清敷城とも記され、入来院城・入来城ともいう。「三国名勝図会」は一二世紀末に入来院頼宗が築城したと伝え、「雲遊雑記伝」は宝治元年(一二四七)入来院地頭となった渋谷定心(入来院氏初代)の入部以降に築城されたとする。入来院氏は南北朝期前半までは守護島津方だったが、後半は反島津方・南朝方となり(山田聖栄自記)、この時期使用されるようになったとみられる。

入来院・高城・東郷答院の四氏は山北四族と称し、応安(一三六八―七五)以来、九州探題今川了俊と手を結び勢力を誇った(「島津国史」など)。同五年入来院重門は総州家島津師久の築いた高江たかえ(現川内市)を攻撃、戦死するが、入来院勢は奥州家島津氏久勢を破った(同書)。応永二年(一三九五)の入来山周辺の合戦(山引合戦)でも入来院氏らが氏久の後を継いだ元久を破った(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「清色城跡」の解説

きよしきじょうあと【清色城跡】


鹿児島県薩摩川内(せんだい)市入来(いりき)町にある城跡。清色川左岸、標高約100mを最高地点とする、西から東に延びるシラス台地の北東に突き出た部分に所在する城跡。城の東側に展開する麓集落は、中世から近世にいたる入来院氏と家臣団の屋敷地域で、当時の景観をよく残していることから、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、城跡は2004年(平成16)に国の史跡に指定された。永和年間(1375~79年)ごろの築城と推定され、遺構は南北約600m、東西約750mの規模で、南西方向から北東方向に延びる尾根筋の先端の頂上に曲輪(くるわ)を設けている。主要な尾根は南西を限る空堀から東北東に向いており、この尾根から北方向に出ている4本の枝尾根を生かして16の曲輪群を形成し、一番広い曲輪は約5000m2。曲輪の名称としては、『三国名勝図会』に本丸、松尾城、西之城、中之城、求聞持城(ぐもんじじょう)、物見之段が見え、最大の曲輪が本丸、その他の曲輪も現地で比定され、土塁をともなう曲輪や櫓(やぐら)台をもつものもある。虎口も半数近くの曲輪で確認された。JR九州新幹線ほか川内駅から車で約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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