渡辺 清
ワタナベ キヨシ
昭和期の作家,反戦運動家 わだつみ会常任理事・事務局長。
- 生年
- 大正14(1925)年2月17日
- 没年
- 昭和56(1981)年7月23日
- 出身地
- 静岡県富士宮市
- 学歴〔年〕
- 高小〔昭和16年〕卒
- 経歴
- 16歳で海軍志願兵、昭和17年戦艦・武蔵に乗りこみ、19年沈没で九死に一生を得る。戦後は結核で闘病生活を送る。自らの戦争体験をほりさげた著書に「海の城―海軍少年兵の手記」「戦艦武蔵の最期」「砕かれた神」「私の天皇観」などがある。日本戦没学生記念会“わだつみ会”事務局長となり、機関紙「わだつみの声」を編集した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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渡辺 清
ワタナベ キヨシ
- 肩書
- 貴院議員
- 生年月日
- 天保6年3月15日(1835年)
- 出生地
- 肥前国大村(長崎県)
- 経歴
- 明治元年戊辰戦争では東征軍監、東征大総督参謀として関東各地に転戦。さらに奥羽追討総督参謀として奥羽に進撃して偉功をたてた。維新後、民部省権判事、民部権大丞兼三陸磐城両羽按察使判官として東北地方の民政に当たり、4年厳原藩知事、大蔵大丞を経て、7年福岡県令となる。以後14年元老院議官、21年福島県知事を歴任、20年には功により男爵を授けられ、貴院議員に2度当選した。
- 没年月日
- 明治37年12月30日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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渡辺清(2) わたなべ-きよし
1925-1981 昭和時代後期の作家,反戦運動家。
大正14年2月17日生まれ。海軍志願兵となり,戦艦武蔵(むさし)沈没にあうが生きのこった。戦後「海の城」「戦艦武蔵の最期」「私の天皇観」をあらわす。日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局長。昭和56年7月23日死去。56歳。静岡県出身。
【格言など】八十歳の天皇より先に死ぬわけにはいかぬ。生き残りの意地にかけても,どうしても死ぬわけにはいかぬ(「私の天皇観」)
渡辺清(1) わたなべ-きよし
1835-1904 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)6年3月15日生まれ。渡辺巌の長男。肥前大村藩(長崎県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争では東征軍監,奥羽追討総督参謀として転戦。維新後は厳原(いずはら)藩知事,福岡県令などをへて,福島県知事,貴族院議員となる。明治37年12月30日死去。70歳。名は武勝。通称は清左衛門。号は東山。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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渡辺 清 (わたなべ きよし)
生年月日:1925年2月17日
昭和時代の作家;反戦運動家。わだつみ会常任理事・事務局長
1981年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の渡辺清の言及
【田中訥言】より
…師の没後は嗣子光孚(みつざね)の後見役を果たし,名古屋を中心に活躍した。色彩に関する古典研究《色のちくさ》(1818)を著し,その門から[浮田一蕙],渡辺清(1778‐1861)らが出た。眼病に苦しみ,失明を苦に自殺したとも伝えられる。…
【復古大和絵派】より
…江戸後期から幕末に活躍した[田中訥言](とつげん)とその門人[浮田一蕙],渡辺清(1778‐1861),訥言に私淑した[岡田為恭](ためちか)らの画家を指していう。大和絵の原典に接してその模写を精力的に行い,[土佐派],[住吉派]ら既存の大和絵流派にとらわれず,源流をさかのぼって古典に規範を求め,活力ある大和絵の創造を試みたことに特色がある。…
※「渡辺清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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