渡辺祐策(読み)わたなべすけさく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「渡辺祐策」の意味・わかりやすい解説

渡辺祐策
わたなべすけさく
(1864―1934)

明治から昭和初期の実業家、政治家。元治(げんじ)1年6月15日、萩(はぎ)藩家老福原氏家臣、渡辺恭輔の二男として長門(ながと)(山口県厚狭(あさ)郡宇部村(現、宇部市)に生まれる。号は素行。協興学舎に学んだのち、1890年(明治23)より炭鉱業に着手、1897年組合組織で開坑した沖ノ山炭鉱で成功した。以後、炭鉱より得られる利潤をもとに積極的に経営多角化を推進。1909年(明治42)宇部電気、1911年宇部軽便鉄道、1912年宇部銀行、1914年(大正3)宇部新川鉄工所、1924年宇部セメント、1933年(昭和8)宇部窒素工業など多数の企業を設立(炭鉱、鉄工所、セメント、窒素の4社合併により1942年宇部興産株式会社に、2022年社名をUBE株式会社に変更)。宇部炭田の開発と宇部炭利用による工業化を進め、宇部を一大工業都市に育て上げた。また、1912年以来三度衆議院議員に当選、立憲政友会山口県支部長を長年務め、地方政界の重鎮をもって目された。そのほか宇部鉱業組合初代会長、宇部商工会議所初代会頭などを歴任。昭和9年7月20日没。

[畠山秀樹]

『弓削達勝著『素行渡辺祐策翁』(1936・同翁記念事業委員会)』『松田武四郎著『炭坑開発の偉人 渡辺祐策』(1943・日本出版社)』『堀雅昭著『炭山の王国――渡辺祐策とその時代』(2007・宇部日報社)』


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺祐策」の解説

渡辺祐策 わたなべ-ゆうさく

1864-1934 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
元治(げんじ)元年6月15日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩家老福原氏家臣渡辺恭輔の次男。宇部村の村議,助役をつとめ,のち宇部興産の前身となる沖ノ山炭鉱(明治30年),宇部新川鉄工所(大正2年),宇部セメント(大正12年)などを創業した。明治45年衆議院議員(当選4回,政友会)。昭和9年7月20日死去。71歳。

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世界大百科事典(旧版)内の渡辺祐策の言及

【宇部興産[株]】より

…本社は山口県宇部市。創業は,宇部炭田開発のため,渡辺祐策により匿名組合沖ノ山炭鉱が創設された1897年(1928年株式会社に改組)にさかのぼる。その後,炭鉱用機器の製作修理を目的とする匿名組合宇部新川鉄工所(1914年設立,17年(株)宇部鉄工所に改組),同鉱の石炭・粘土と付近に産出する石灰石を利用する宇部セメント製造(株)(1923),さらには,宇部炭の完全ガス化による硫安製造のために宇部窒素工業(株)(1933)が相次いで設立され,同一資本であるこれら4社が合併して1942年3月に宇部興産(株)が発足した。…

※「渡辺祐策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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