滝谷寺(読み)たきだんじ

日本歴史地名大系 「滝谷寺」の解説

滝谷寺
たきだんじ

[現在地名]三国町滝谷一丁目

滝谷たきだに北方、老杉に囲まれた台地上にある。摩尼宝山宝幢院と称し、真言宗智山派本尊薬師如来。性海しようかい寺と並ぶ当地方の巨刹で、福井以北の真言宗寺院の大部分を末寺とした。永和三年(一三七七)紀州根来ねごろ(現和歌山県岩出町)の学頭、睿憲の開創で、初め東尋坊とうじんぼうの西、さき浦海岸に庵を建てたが(字開田海端に寺跡がある)、永徳元年(一三八一)坪江下つぼえしも平野ひらの村の内、すなわち現在地に寺基を移した。同二年四月七日の滝谷寺寺法写(当寺文書)が残されている。至徳二年(一三八五)山城醍醐寺報恩ほうおん院の法流を相続して長く古義派であったが、明治二七年(一八九四)新義派智積ちしやく(現京都市東山区)の末となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝谷寺」の意味・わかりやすい解説

滝谷寺
たきだんじ

福井県坂井市にある真言宗智山派の寺。南北朝時代,睿憲の創建と伝えられる。この地方を統治した豪族,藩主らが相次いで祈願所とし保護したので,多く塔頭,末寺を保有する巨大寺院となった。境内に現存する堂宇はいずれも室町時代の特徴を有しており,なかでも鎮守堂 (睿憲が建立) は国の重要文化財に指定されている。また江戸中期に造園された庭園は国指定名勝。寺宝の『金銅毛彫宝相華文磬』 (平安時代) は日本のの代表作で国宝

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百科事典マイペディア 「滝谷寺」の意味・わかりやすい解説

滝谷寺【たきだんじ】

福井県坂井市三国(みくに)町にある真言宗智山(ちざん)派の寺。本尊薬師如来。1377年紀州根来(ねごろ)寺の睿憲(えいけん)が開創,1381年現在地に移った。江戸中期作の山水型庭園は国指定名勝,平安時代の金銅宝相華文・鎌倉時代の絹本着色地蔵菩薩像・室町時代の鎮守堂は重要文化財

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世界大百科事典(旧版)内の滝谷寺の言及

【三国[町]】より

…明治初年オランダ人技師によって設計された木造洋風建築の竜翔(りゆうしよう)小学校は,郷土資料館として復元されている。滝谷にある真言宗智山派滝谷(たきだん)寺は,中世以来の古刹で福井以北に多数の末寺を擁していた。金銅宝相華文磬(ほうそうげもんけい)(国宝)など文化財を蔵し,庭園は国指定の名勝。…

※「滝谷寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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