照願寺(読み)しようがんじ

日本歴史地名大系 「照願寺」の解説

照願寺
しようがんじ

[現在地名]美和村鷲子

鷲子とりのこ山の真南、小高い丘の中腹にあり、西には川が流れる。静かなたたずまいをみせ、境内には親鸞ゆかりの見返りの桜の古木が茂る。毘沙幢山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来

寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)によると貞応元年(一二二二)念信房の開山で、末寺一ヵ寺、門徒二ヵ寺、百姓旦那六六人、寺領五石余を有した。「新編常陸国誌」の照願寺の項には「廿四輩ノ第十七番ナリ、貞応元年、親鸞徒弟念信房ノ開基ナリ」とみえる。念信房が毘沙幢びしやどうに創建し、親鸞が六度留錫した霊場とされる。阿弥陀寺(現那珂町額田南郷)に伝わる「太祖聖人面授口決交名記」には高弟二四人のなかの第一七番目に「ビシヤタフ念信」と記される。


照願寺
しようがんじ

[現在地名]喜連川町金枝

普済ふさい寺に隣接して本堂がある。毘沙門山朝正院と号し、浄土真宗本願寺派。本尊の阿弥陀如来は常陸国佐竹さたけ(現茨城県常陸太田市)城主右衛門尉義信の念持仏であったと伝える。当寺はもと常陸久慈くじ鷲子とりのこ(現茨城県那珂郡美和村)にあったのを、享保四年(一七一九)念信坊がこの地に移して建立したという。毘沙門山の山号は、当寺に毘沙門天像を安置した堂宇があったことに由来するが、その毘沙門堂は明治五年(一八七二)焼失した。


照願寺
しようがんじ

[現在地名]大原町大原

八幡はちまん岬の西方根方ねがたにある。小浜こばま坊とも称した。浄土真宗本願寺派。毘沙幢山と号し、本尊阿弥陀如来。貞応元年(一二二二)常陸佐竹氏に仕えていた高沢式部大輔氏信が、常陸稲田いなだ(現茨城県笠間市)の坊舎で親鸞に帰依して得度し、法名を念信として一宇を建立したという(夷隅郡誌)。浄土真宗坂東二四輩の寺格中第一七番。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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