日本大百科全書(ニッポニカ) 「オホーツク文化」の意味・わかりやすい解説
オホーツク文化
おほーつくぶんか
南樺太(からふと)(サハリン)、北海道のオホーツク海沿岸・根室(ねむろ)水道沿岸、千島列島にみられる、海を生活の舞台にした人々の残した文化。時代は、平安・鎌倉時代に並行するころと考えられる。網走(あばしり)市のモヨロ貝塚がもっとも著名な遺跡。第二次世界大戦後、北海道大学、東京大学などにより調査が進められた結果、特異な面を数多くもつこの文化の内容が明らかになりつつある。
生活は、海獣狩猟および漁労に基礎を置いていたものと考えられ、住居址(し)や墓などから出土する石器、骨角器あるいは貝層や魚骨層から出土する獣魚骨がこれを裏づける。住居は平面が五角形もしくは六角形で、長軸が10メートルを超えるものもしばしばみられるほど大形で、その平均的な床面積は70~80平方メートルにも及ぶ。核家族というよりも、核家族をいくつか集めた大家族が単位となって居住していたことを示すものであり、彼らの生業の形と密接に結び付いたものであろう。住居の奥にはクマの頭骨が置かれ、またクマの彫刻もしばしばみられる。これらはアイヌの熊祭の源流を示すものではないかと考えられ、注目される。クマのほかシャチあるいはエイなどの彫刻もみられる。これらは単に彫刻としての意味をもつだけではなく、彼らのもっていた信仰、祭祀(さいし)を示すものとして興味深いものがある。墓はモヨロ貝塚などで知られているが、長軸1~1.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに遺体を多くは北西に頭を置く形で屈葬にする。遺体の頭もしくは胸の所に土器を逆さにして置くことがしばしばみられる。
このほか石器、骨角器も副葬される。アジア大陸と関係深い遺物も多い。オホーツク文化をもっていた人々については種々のことがいわれているが、今日では、ウルチ、ギリヤーク、樺太アイヌというようなアムール川(黒竜江)流域から樺太にかけてみられる人々との近縁関係が有力になってきている。北海道にみられるもっとも新しい外来の要素として、また近世アイヌ文化の精神面の源流として注目される文化である。
[藤本 強]