奈良・平安時代にかけて,北海道オホーツク海沿岸に広がった金属器をもつ石器文化。南サハリンから北海道北東岸,知床・根室半島そして南千島に認められる。この文化を代表する土器は,オホーツク式土器と呼ばれ,地域と時期により詳細な編年ができている。概していえば壺形・甕形の器形に,前半期には刻み目を連続した文様を主にし,後半期では細い粘土紐を貼りつけた文様を主にしている。住居址は通常六角形の大型のもので,粘土の貼床をもち,住居の一角に熊や狐の獣骨を積み上げる習俗をもっている。また貝塚,骨塚をともない,クジラ,オットセイ,アザラシなどの海獣骨や魚骨,ウニ殻片などを多量に出土する。石鏃,石槍,石錘といった狩猟・漁労具としての石器類や,回転離頭銛や組合せ釣針などの多種類の骨角器も発見され,この文化の担い手たちは沿岸域に適応した海獣狩猟・漁労民的性格をもっていたことが知られる。しかし同時に,豚の骨も出土し,豚飼育民でもあり,骨鍬などの出土から簡単な菜園耕作民であったことも推測されている。
網走市モヨロ貝塚では共同墓地も発見され,北西に頭位を向けた屈葬が主体で,頭部被甕の例もある。これらの埋葬人骨は,アイヌ系ではなくアレウトに形質的に類似するとかつて考えられていたが,最近ではアムール下流域のウリチに近いという説が出されている。
金属器には,蕨手刀,刀子(とうす),鉾,斧,鈴,鐸,銙帯(かたい)金具,耳環などがあり,本州と大陸の両方からもたらされたものが含まれている。たとえば銙帯金具はアムール流域の靺鞨(まつかつ)文化期の墓地であるナイフェリトやトロイツコエから出土したものとまったく同一のものである。
この文化を特徴づける遺物のひとつとして,骨・牙製の婦人像がある。それらはすこし前かがみで,手を前に組んだり,合掌したりしている姿をし,そのモティーフはモンゴル出土の牙製婦人像や遠くセミレチエ地方の突厥(とつくつ)の女性石像に類似している。
この文化の発生については,南サハリンと北海道北部において自立的に生まれたとする説と大陸からの影響を受けて生じたとする説がある。一方,その終末については,元のサハリンへの侵略が原因であろうといわれている。
執筆者:加藤 晋平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南樺太(からふと)(サハリン)、北海道のオホーツク海沿岸・根室(ねむろ)水道沿岸、千島列島にみられる、海を生活の舞台にした人々の残した文化。時代は、平安・鎌倉時代に並行するころと考えられる。網走(あばしり)市のモヨロ貝塚がもっとも著名な遺跡。第二次世界大戦後、北海道大学、東京大学などにより調査が進められた結果、特異な面を数多くもつこの文化の内容が明らかになりつつある。
生活は、海獣狩猟および漁労に基礎を置いていたものと考えられ、住居址(し)や墓などから出土する石器、骨角器あるいは貝層や魚骨層から出土する獣魚骨がこれを裏づける。住居は平面が五角形もしくは六角形で、長軸が10メートルを超えるものもしばしばみられるほど大形で、その平均的な床面積は70~80平方メートルにも及ぶ。核家族というよりも、核家族をいくつか集めた大家族が単位となって居住していたことを示すものであり、彼らの生業の形と密接に結び付いたものであろう。住居の奥にはクマの頭骨が置かれ、またクマの彫刻もしばしばみられる。これらはアイヌの熊祭の源流を示すものではないかと考えられ、注目される。クマのほかシャチあるいはエイなどの彫刻もみられる。これらは単に彫刻としての意味をもつだけではなく、彼らのもっていた信仰、祭祀(さいし)を示すものとして興味深いものがある。墓はモヨロ貝塚などで知られているが、長軸1~1.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに遺体を多くは北西に頭を置く形で屈葬にする。遺体の頭もしくは胸の所に土器を逆さにして置くことがしばしばみられる。
このほか石器、骨角器も副葬される。アジア大陸と関係深い遺物も多い。オホーツク文化をもっていた人々については種々のことがいわれているが、今日では、ウルチ、ギリヤーク、樺太アイヌというようなアムール川(黒竜江)流域から樺太にかけてみられる人々との近縁関係が有力になってきている。北海道にみられるもっとも新しい外来の要素として、また近世アイヌ文化の精神面の源流として注目される文化である。
[藤本 強]
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オホーツク式土器を使用している文化。7世紀頃から12・13世紀頃にかけて,北海道の利尻・礼文両島からオホーツク海沿岸一帯に分布。遺跡は海浜に立地し,多数の海獣骨(クジラなど)を出土することから海洋狩猟民文化であったとの意見もあるが,狩猟・漁労が主であったと考えられる。平面が五角形・六角形の竪穴住居内に,「コ」の字形の粘土敷面を作るなどの特徴をもつ。また熊に対する特殊な儀礼・信仰をもっていた。遺物は土器以外に,骨角器・鉄器・青銅器などがあり,中国北宋代の古銭や遼の土器なども伴う。オホーツク文化には沿海州の靺鞨(まっかつ)・女真(じょしん)文化,あるいはその背後のポリツェ文化,中国東北地方の文化などとの関連が色濃く認められる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…住居は方形の竪穴式で,1辺が4~5mから7~8mのものが多く,屋内の中央部の炉のほかに,東側の壁に,煙道が戸外に通ずる竈が付設されているのが多く,海岸や内陸部の河川や湖沼に近い段丘上に大住居群を残している。この文化が盛行していたころ,道東北部では,オホーツク海岸を中心にしたオホーツク文化が,一部は根室半島を越えて北海道太平洋岸の東部や,宗谷岬を越えて日本海岸の北部の利尻・礼文の島々にまで広がっており,両文化は互いに影響し合っていた。道東のいくつかの遺跡では,擦文土器と,オホーツク式土器の融合した,いわゆるトビニタイ式土器が発見されて,北海道の土器文化の終末期の様相を考えるうえで注目されている。…
※「オホーツク文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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