狛江市(読み)コマエシ

デジタル大辞泉 「狛江市」の意味・読み・例文・類語

こまえ‐し【狛江市】

狛江

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「狛江市」の解説

狛江市
こまえし

面積:六・三九平方キロ

東京都の南部、三多摩地域の南東端に位置し、東は世田谷区、北と西は調布市、南は多摩川を挟んで神奈川県川崎市多摩区と接する。地形的には多摩川沿いの沖積地と立川段丘から構成され、両者は府中崖線とよばれる崖によって区切られる。かつては立川段丘のほぼ中央を南北に縦貫するように(現在の野川緑地公園)が流れていたが、現在では野川はほぼ調布市との境に沿った流路となっている。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡には元和泉もといずみ弁財天池べんざいてんいけ遺跡があり、黒曜石を主体とするブロック一ヵ所と槍先形尖頭器・ナイフ形石器・細石刃などが出土している。縄文時代の遺跡は現在一八ヵ所で認められ、草創期では岩戸南いわどみなみ古屋敷ふるやしき相之原あいのはら遺跡が、早期・前期では東和泉ひがしいずみ猪方いのがた寺前東てらまえひがし遺跡が、中期では弁財天池遺跡が、後期・晩期では中和泉の圦上なかいずみのいりうえ遺跡が代表的な集落遺跡としてあげられる。これらのうち弁財天池遺跡はこれまでに柄鏡形敷石住居跡を含む五〇軒以上の縄文中期の住居跡が検出されている比較的大規模な集落遺跡である。弥生時代の遺跡は中期のものに圦上遺跡が、後期のものに長軸一〇メートル以上の大型住居跡を伴う古屋敷・相之原遺跡や猪方の矢崎山やさきやま遺跡、方形周溝墓が検出された弁財天池遺跡(鉄・銅釧が出土)や圦上北遺跡がある。市域南半部の立川段丘上一帯には総数七〇基前後の古墳が密集し(現存するものは一二基)、南武蔵地域でも有数の狛江古墳群を形成していたと推定される。同古墳群は円墳を主体(亀塚古墳のみ帆立貝形古墳)に五世紀前半から六世紀中頃に集中的に造営されたと考えられ、墳丘全長四〇メートルを誇り、神人歌舞画像鏡・金銅製毛彫飾板・金銅製馬具などが出土した亀塚かめづか古墳(五世紀末―六世紀初頭)や墳丘直径五〇メートルに及ぶ兜塚かぶとづか古墳(六世紀中頃)を核とした初期群集墳として注目される。古墳時代の集落遺跡としては和泉本いずみほん町の和泉遺跡、元和泉から中和泉にかけての橋場はしば遺跡、東和泉から元和泉にかけての田中たなか寺前てらまえ遺跡などがあげられ、とくに和泉遺跡は古墳時代前期後半の土師器である和泉式土器の標式遺跡として知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「狛江市」の意味・わかりやすい解説

狛江〔市〕
こまえ

東京都中南部,多摩川左岸にある市。1952年町制,1970年市制。市域は多摩川流域の氾濫原。地名は古代,高麗(こま。→高句麗)の渡来人が居住したことに由来すると伝えられ,多摩川に沿った地区には古墳が多く,周辺地域からは縄文土器も数多く出土する。長らく純農村であったが,1927年小田急電鉄小田原線が開通してから住宅地として急速に発展。第2次世界大戦中に電器工場が進出。今日では世田谷区市街地が連続している。面積 6.39km2。人口 8万4772(2020)。

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