玉木文之進 (たまきぶんのしん)
生没年:1810-76(文化7-明治9)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
玉木文之進
たまきぶんのしん
(1810―1876)
長州藩士。杉七兵衛の三男で、のち玉木家を継いだ。吉田松陰(しょういん)の父杉百合之助(ゆりのすけ)の弟。1842年(天保13)に松下村塾(しょうかそんじゅく)をおこし、吉田松陰、杉民治、宍戸璣(ししどたまき)らを教育した。その後、藩校明倫館の都講となり、さらに諸郡の代官を歴任して民政にも力を尽くした。隠居後、松下村塾を再興して教育に従事したが、76年(明治9)の前原一誠(いっせい)の乱に一族および子弟の加わったことに責任を感じて自刃した。
[吉本一雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
玉木文之進 たまき-ぶんのしん
1810-1876 江戸時代後期の武士。
文化7年9月24日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。松下村塾をひらき,甥の吉田松陰や杉民治(みんじ),宍戸璣(ししど-たまき)らをおしえる。藩校明倫館塾頭,代官,郡奉行などをつとめた。萩の乱に一族や門弟が関係した責任をとり,明治9年11月6日自刃(じじん)。67歳。本姓は杉。名は正一,のち正韞。字(あざな)は蔵甫。号は韓峰,玉韞。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
玉木文之進 (たまきぶんのしん)
生年月日:1810年9月24日
江戸時代末期;明治時代の長州(萩)藩士
1876年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 