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玉松操 たままつ みさお

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美術人名辞典の解説

玉松操

勤王家。名は真弘、誠、しけ誠、重信、猶海。野々口隆正門。山本公弘の子。岩倉具視を扶けて施設する所多く内国事務権判事たり。後官を辞し具視と絶つ。明治5年(1872)歿、63才。

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デジタル大辞泉の解説

たままつ‐みさお〔‐みさを〕【玉松操】

[1810~1872]江戸末期から維新期の国学者。京都の人。本名、山本真弘。岩倉具視(いわくらともみ)の側近となり、王政復古計画に参画。維新後、新政府の方針と合わず職を辞した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

玉松操 たままつ-みさお

1810-1872 幕末-明治時代の国学者。
文化7年3月17日生まれ。醍醐(だいご)寺の僧となるが,提唱した僧律改革がうけいれられず還俗(げんぞく)して大国隆正(たかまさ)にまなぶ。明治維新後,岩倉具視(ともみ)のもとで内国事務局権(ごんの)判事,侍読(じどく)などをつとめるが,政府の政策と意見があわず辞職した。明治5年2月15日死去。63歳。京都出身。本姓は山本。名は真弘。号は毅軒(きけん)。
【格言など】我不明にして奸雄に為に誤られたり(明治新政府の職を辞して)

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世界大百科事典 第2版の解説

たままつみさお【玉松操】

1810‐72(文化7‐明治5)
幕末・明治維新期の国学者,公卿。京都の生れ。参議・侍従山本公弘の子。幼少のとき出家したが合わず還俗し,山本毅軒また玉松操と称して国学を学び,私塾を開いて教えた。1867年(慶応3)岩倉具視を知り,その謀臣となって大政奉還討幕の密勅王政復古などの画策に活躍した。維新後,徴士,内国事務局権判事,侍講などになったが,新政府の方針に反対し,辞任して京都に隠遁した。【田村 貞雄】

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大辞林 第三版の解説

たままつみさお【玉松操】

1810~1872) 幕末の国学者・勤皇家。本姓、山本。京都醍醐寺の僧。還俗して岩倉具視の知遇を得、王政復古の計画に参与。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

玉松操
たままつみさお

[生]文化7(1810)
[没]明治5(1872).2.15. 京都
明治維新期の国学者。西園寺家の末流,侍従山本公弘の次男。初め醍醐寺に入り猶海と称し大僧都法印に上ったが,僧律改革を唱え,これに失敗し還俗して山本毅軒,のち玉松操と名のった。国学を大国隆正に学び,明治1 (1868) 年9月矢野玄道平田銕胤らと皇学所の設立に奔走し,その教師となり,同2年9月東京に大学校が設立されると教師に任命された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

玉松操
たままつみさお
(1810―1872)

幕末・維新の勤王国学者。本姓山本、名は真弘。西園寺(さいおんじ)家の末流である侍従山本公弘(やまもときんひろ)の次男として京都に生まれる。幼時より醍醐(だいご)寺に入り、猶海(ゆうかい)と称し、大僧都(だいそうず)法印の位まで得たが、僧律改革を唱えていれられず、還俗(げんぞく)して山本毅軒(きけん)、のち玉松操と改めた。国、儒、仏の典籍に通じ、尊王攘夷(じょうい)の説を唱えた。1867年(慶応3)岩倉具視(いわくらともみ)を訪ねてその知遇を得、その腹心として王政復古の計画に参画、維新後もその側近として重用され、1869年(明治2)徴士(ちょうし)内国事務権判事(ごんのはんじ)、1870年侍講となった。「王政復古の大号令」の渙発(かんぱつ)、神武(じんむ)創業への復帰の大方針はまさに彼の意見に基づくものといわれ、維新当初の復古的精神の一翼を担った。しかし新政府の方針が自らの意に反して開国主義、洋学採用の方向をとるのをみて、1871年憤懣(ふんまん)のなかに職を辞し、翌1872年うつうつたる心を抱いたまま世を去った。[和田三三生]

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