玉造柵(読み)たまつくりのさく

百科事典マイペディアの解説

玉造柵【たまつくりのさく】

陸奥国に置かれた古代城柵(じょうさく)。〈たまつくりのき〉ともいい,玉作城・玉造塞と記される。737年に〈玉城〉柵がみえ,当地より南の多賀城,北の胆沢(いさわ)城などとともに律令政府の奥羽経営にとって重要な役割を果たした。780年には伊治呰麻呂の乱の鎮定に向かった征東軍は〈玉作〉城などに入って防御を固め,戦術を練るように指令を受けている(《続日本紀》)。789年〈玉造塞〉は蝦夷を征討するため衣川(ころもがわ)まで進軍した紀古佐美の一行の兵站(へいたん)基地となっており,815年には兵士(ひょうじ)100人・健士200人が配されている。城柵跡は宮城県加美町の城生柵(じょうのさく)遺跡が有力とされていたが,色麻(しかま)柵とも,加美郡衙(かみぐんが)ともされ,同県大崎市の名生館(みょうだて)遺跡もまた玉造柵または玉造郡衙の遺構とされ,明らかではない。

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世界大百科事典 第2版の解説

たまつくりのさく【玉造柵】

日本古代の城柵。〈たまつくりのき〉ともいい,玉作城,玉造塞とも記載されるが,同一のものを指すものと考えられている。《続日本紀》天平9年(737)条に初見の柵であり,陸奥国では,多賀城,胆沢(いさわ)城とともに長期間重要な役割を果たした柵といわれている。いわゆる胆沢の賊を討つ際にも中継基地として重要な役割をにない,胆沢の地が一応治まった後も,玉造塞には,多賀城,胆沢城とならんで兵士等が配されている。宮城県北大崎平野一帯を永く統轄した施設といえよう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

玉造柵
たまつくりのき

古代奥羽の蝦夷(えぞ)経営における基地の一つ。「玉作柵」とも書く。いわゆる「天平(てんぴょう)の五柵」の一つで、『続日本紀(しょくにほんぎ)』737年(天平9)の記事に、多賀(たが)、新田(にいた)、牡鹿(おしか)、色麻(しかま)の諸柵と並んでみえる。728年(神亀5)に「玉作軍団」創置の記事があるが、これはすでに存在していた玉造柵に丹取(にとり)軍団を移転して玉造柵団としたもので、城柵(じょうさく)は8世紀初頭には存在していたと考えられ、その位置も宮城県大崎(おおさき)市東大崎と確定した。[高橋富雄]

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