コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

玉造柵 たまつくりのさく

百科事典マイペディアの解説

玉造柵【たまつくりのさく】

陸奥国に置かれた古代城柵(じょうさく)。〈たまつくりのき〉ともいい,玉作城・玉造塞と記される。737年に〈玉城〉柵がみえ,当地より南の多賀城,北の胆沢(いさわ)城などとともに律令政府の奥羽経営にとって重要な役割を果たした。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たまつくりのさく【玉造柵】

日本古代の城柵。〈たまつくりのき〉ともいい,玉作城,玉造塞とも記載されるが,同一のものを指すものと考えられている。《続日本紀》天平9年(737)条に初見の柵であり,陸奥国では,多賀城,胆沢(いさわ)城とともに長期間重要な役割を果たした柵といわれている。いわゆる胆沢の賊を討つ際にも中継基地として重要な役割をにない,胆沢の地が一応治まった後も,玉造塞には,多賀城,胆沢城とならんで兵士等が配されている。宮城県北大崎平野一帯を永く統轄した施設といえよう。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

玉造柵
たまつくりのき

古代奥羽の蝦夷(えぞ)経営における基地の一つ。「玉作柵」とも書く。いわゆる「天平(てんぴょう)の五柵」の一つで、『続日本紀(しょくにほんぎ)』737年(天平9)の記事に、多賀(たが)、新田(にいた)、牡鹿(おしか)、色麻(しかま)の諸柵と並んでみえる。728年(神亀5)に「玉作軍団」創置の記事があるが、これはすでに存在していた玉造柵に丹取(にとり)軍団を移転して玉造柵団としたもので、城柵(じょうさく)は8世紀初頭には存在していたと考えられ、その位置も宮城県大崎(おおさき)市東大崎と確定した。[高橋富雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

玉造柵の関連キーワード日の出山瓦窯址群古川(宮城県)坂本宇頭麻佐伊治呰麻呂大崎(市)古川[市]加美[町]高橋富雄城生柵跡中新田柵址

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android