瑠璃寺(読み)るりじ

日本歴史地名大系 「瑠璃寺」の解説

瑠璃寺
るりじ

[現在地名]南光町船越

船越ふなこし山の南麓山間地にある。船越山と号し、本尊千手千眼観音。高野山真言宗。寺伝によれば聖武天皇の勅願により建立されたという。「峯相記」に行基開創寺として「船越山」とみえ、本尊は薬師如来とある。播磨で行基開創と伝える寺院の多くは、平安末期以前の成立と考えられており、当寺にも創建頃のものとみられる絹本著色不動明王二童子像(国指定重要文化財)などが残る。応安二年(一三六九)八月日の年紀銘をもつ銅鐘(県指定文化財)には「播州宍粟郡佐用庄千種郷、船越山瑠璃寺推鐘」とあり、大檀那として赤松権律師則祐・同沙弥世貞(貞範)の名がみえ、大願主は権律師覚祐であった。


瑠璃寺
るりじ

[現在地名]高森町大島山 恵性坊

大島山おおじまさんのほぼ中央にある。天台宗、大島山と号し、本尊薬師如来。

慶長一三年(一六〇八)の三井寺盛海法印撰述の「信州伊那郡大嶋山瑠璃教寺之縁起(瑠璃寺文書)は、天永三年(一一一二)比叡山竹林院観誉僧都の開基と伝える。

開創当時は現寺地を西へ、ほん高森山から流出する大島川に沿って二キロ余さかのぼった字堂所どうどころとよばれる峡間にあった。文治二年(一一八六)に現寺地恵性坊けいしようぼうに移された。本寺縁起の末尾に記された堂宇は、本堂護摩堂・弥陀堂・観音堂・地蔵堂・開山堂五重塔鐘楼・山王権現社・伊勢神明宮・諏訪明神社・北野天神社・五所権現社・承仕房寮・仁王門などで、「当山寺中之名」として松本房・妙境房・惣持房・修禅房・等覚房・泉蔵房・中之房・実相房・専陽房・玉泉房・恵性房・西泉房・地蔵房・理境房・教観房・円蔵坊・放光房・杉本房の一八坊を記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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