舞楽に用いられる仮面の総称。現行の舞楽のなかで仮面が用いられているのは左舞の《陵王》《胡飲酒(こんじゆ)》《二ノ舞》《蘇莫者(そまくしや)》《採桑老(さいそうろう)》《散手(さんじゆ)》《還城楽(げんじようらく)》《抜頭(ばとう)》右舞で《新鳥蘇(しんとりそ)》《退宿徳(たいしゆくとく)》《貴徳(きとく)》《胡徳楽(ことくらく)》《崑崙八仙(ころばせ)》《納曾利(なそり)》《皇仁庭(おうにんてい)》《綾切(あやぎり)》《地久(ちきゆう)》等で,それぞれ曲目の名がそのまま仮面の名称に用いられている。なかで《二ノ舞》には咲面(えみめん)(老爺)と腫面(はれめん)(老婆)の2種があり,《貴徳》には貴徳鯉口(こいくち),貴徳番子(ばんこ),《胡徳楽》には胡徳楽勧杯,胡徳楽瓶子取等の仮面が用いられる場合がある。また左舞の《案摩(あま)》,右舞の《蘇利古(そりこ)》は紙製の蔵面(ぞうめん)をつけ,行道面に含められる師子(獅子頭)や菩薩面も原曲が舞楽と考えれば,舞楽面といえるかもしれない。また現存遺品中には石川(せつせん)や秦王(しんのう)の仮面もある。遺品の多くは奈良の東大寺と手向山神社(本来一体であった),春日大社,法隆寺,四天王寺,厳島神社など古来の大社寺に集中的に存在するが,近世までの地方での素朴な作品までを含めると,北は青森から南は宮崎まで,約80ヵ所,500点をこえる存在が確かめられる。それらはほとんどが木製で極彩色の仕上げを施し,その表現はいかにも楽舞に使用されるものらしい意匠化が特徴的である。また陵王や納曾利のように,本来別製の顎(あご)を演者が自分の顎に当て,これをやはり別製嵌入(かんにゆう)の両眼と連結して,演者の口の開閉に伴って両眼が上下するような工作のもの,還城楽のように頰の部分も上下するもの,胡徳楽のように演者の動きによって長鼻がゆれ動くものなど,工作上に特色のあるものも多い。
最近乾漆製の陵王が2例発見されたが,これらは奈良時代ないし平安時代初頭の製作と思われる特殊例である。遺品のほとんどは舞楽のわが国での編成期である平安時代半ば以降のもので,これから鎌倉時代にかけてが遺品の上での全盛期といえよう。その代表的なものは前記の大社寺に見られる。東大寺や法隆寺の10~11世紀の作品には意匠化がまだ徹底せず,そのかわり奈良時代の伎楽面(伎楽)の表現にちかい,写実的でしかもおおらかな表現がみられる。春日大社や厳島神社の12世紀の作品には王朝文化のなかで洗練され,意匠化の整った趣が顕著である。鎌倉時代半ば以降は,舞楽そのものの地方伝播と質的衰退が遺品の上でも端的に指摘される。こうした舞楽面の作家は,初期はおそらく伎楽面と同様の専門作家であったろうが,平安・鎌倉時代の文献,資料からみると大部分が仏師となっている。室町時代の遺品には当時隆盛期にあった能面の影響が考えられる工作があらわれたりし,江戸時代には能面作家の作品も知られる。舞楽面は,舞楽が日本の古代後半から中世を通じての楽舞の中心であったように,日本仮面史の上で最も大きなウェイトを占めるもので,他のジャンルの仮面類に及ぼした影響も大きい。
執筆者:田辺 三郎助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
舞楽に用いられる仮面。仮面を使用する舞楽曲はいずれも中国から伝えられたもので、日本の曲目には使われない。仮面を使う曲目には、陵王(りょうおう)、胡飲酒(こんじゅ)、二(に)ノ舞(まい)、扶桑老(さいそうろう)、散手(さんじゅ)、還城楽(げんじょうらく)、抜頭(ばとう)、蘇莫者(そまくしゃ)、新鳥蘇(しんとりそ)、退宿徳(たいそうとく)、貴徳(きとく)、胡徳楽(ことくらく)、崑崙八仙(こんろんはっせん)、納曽利(なそり)、皇仁庭(おうにんてい)、綾切(あやぎり)、地久(ちきゅう)などがあり、曲目の名がそのまま仮面の呼称になっている。これらのうちには、咲面(えみめん)(老爺(ろうや))と腫面(はれめん)(老婆)の2種を用いる『二ノ舞』、鼻高の瞋目(しんもく)面のほかに貴徳鯉口(こいぐち)や貴徳番子(ばんこ)を使用する『貴徳』、長鼻の面のほか胡徳楽勧杯(かんばい)、胡徳楽瓶子取(へいしとり)を用いる『胡徳楽』など、異なる形相の複数の仮面を使用する曲もある。また、『安摩(あま)』と『蘇利古(そりこ)』には、厚紙に目鼻などを図案化した蔵面(ぞうめん)(雑面)が用いられる。このような特殊な仮面としては、布に目鼻口を墨で描いた奈良時代の布作面(ふさくめん)や、平安時代の神幸の際に神人がつけた白布面が類例としてあげられる。
現存する舞楽面には奈良時代のものが若干みられるが、平安時代なかばから鎌倉時代がその全盛期で、とくに平安時代、10~11世紀の法隆寺、東大寺、手向山(たむけやま)神社、12世紀の春日(かすが)大社、厳島(いつくしま)神社などの大社寺に伝存するものが、優れた作例としてあげられる。また、奈良時代の乾漆製を除けば、その他の現存作例はいずれも木製で、極彩色が施されている。なお、陵王、納曽利、胡徳楽などには動眼、吊(つ)り顎(あご)などの特殊な工作を施した例もある。また、平安から鎌倉時代の舞楽面の作家は文献や資料からみると、大部分が仏師となっていることが注目される。
[金子啓明]
『西川杏太郎編『日本の美術62 舞楽面』(1971・至文堂)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…それは仮面表現上,前者に写実性が強く,後者に象徴性が強いということを意味する。そして舞楽が8世紀にはいってきた諸外国の楽舞を日本的に整理・統合したものであり,その完成が9~10世紀ころとすれば,舞楽面の完成もそのころと考えられ,その表現には日本固有のものが認められるといえよう。これ以後舞楽は宮廷の儀式はもちろん,中央の社寺の祭礼,法会に必須のものとなり,全国的に普及して近世にいたり,舞楽面遺品も北は青森から南は宮崎まで,七十数ヵ所,500点を超える。…
※「舞楽面」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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