デジタル大辞泉 「瓜生外吉」の意味・読み・例文・類語 うりゅう‐そときち〔うりふ‐〕【瓜生外吉】 [1857~1937]海軍大将。石川の生まれ。日露戦争のとき、第二艦隊司令官として仁川インチョン沖の海戦を指揮。貴族院議員。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「瓜生外吉」の意味・読み・例文・類語 うりゅう‐そときち【瓜生外吉】 海軍大将。男爵。石川県出身。日露戦争の初期、瓜生艦隊を率いて仁川(じんせん)沖の海戦で勝利をおさめる。安政四~昭和一二年(一八五七‐一九三七) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「瓜生外吉」の解説 瓜生 外吉ウリュウ ソトキチ 明治期の海軍大将,男爵 生年安政4年1月2日(1857年) 没年昭和12(1937)年11月11日 出生地加賀国(石川県) 学歴〔年〕海軍兵学寮中退,アナポリス海軍兵学校卒 経歴明治8〜14年米国アナポリス海軍兵学校に留学。砲術を学び、帰国後海軍中尉となり、海兵教官、摂津、扶桑などの分隊長などを経て、20年参謀本部海軍部第2課長。25年フランス大使館付武官、29年帰国、秋津洲・扶桑・松島・八島各艦長、軍令部第一局長を歴任。37年日露戦争には第2艦隊司令官、竹敷要港部司令官として仁川沖海戦などに瓜生艦隊の名をあげた。戦後佐世保、横須賀各鎮守府司令長官を務めた。40年男爵。大正元年大将に進み、翌年予備役に編入。海軍有数のアメリカ通であった。11年勅選貴院議員。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「瓜生外吉」の解説 瓜生外吉 没年:昭和12.11.11(1937) 生年:安政4.1.2(1857.1.27) 明治期の海軍軍人。大聖寺藩(石川県)藩士瓜生吟弥,ふぢの次男。明治5(1872)年海軍兵学寮に入り,中途で同8年アメリカ留学。アナポリス海軍兵学校を卒業して14年に帰国,海軍中尉に任じられる。海上勤務を経て19年海軍大臣伝令使となる。25年にフランス公使館付となり,30年1月帰国して巡洋艦秋津洲艦長。日露戦争(1904~05)では,第2艦隊司令官として巡洋艦からなる第4戦隊を指揮,開戦直後の仁川港外での海戦から戦役期間を通じて活躍。40年男爵を授けられ,42年横須賀鎮守府司令長官,大正1(1912)年に大将に進み,翌年予備役に編入。アナポリスではYMCAの代表となるなど現地にとけこみ,成績も72名中24位であったという。留学中に明治4年に開拓使派遣留学生として渡米していた益田孝(のち三井物産社長)の妹繁子と知り合い,帰国後結婚した。海軍有数のアメリカ通であった。 (鈴木淳) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瓜生外吉」の解説 瓜生外吉 うりゅう-そときち 1857-1937 明治-大正時代の軍人。安政4年1月2日生まれ。明治8年アメリカに留学。扶桑(ふそう),八島などの艦長をつとめ,日露戦争では第二艦隊司令官として指揮。仁川沖の海戦の勝利で知られる。のち佐世保,横須賀の各鎮守府司令長官。大正元年大将。昭和12年11月11日死去。81歳。加賀(石川県)出身。アナポリス海軍兵学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「瓜生外吉」の解説 瓜生 外吉 (うりゅう そときち) 生年月日:1857年1月2日明治時代の海軍軍人。大将;男爵1937年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by