デジタル大辞泉
「仁川沖海戦」の意味・読み・例文・類語
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じんせんおき‐の‐かいせん【仁川沖海戦】
- 明治三七年(一九〇四)二月九日、朝鮮仁川沖で行なわれた日露海戦。第一次旅順港攻撃と並び、日露戦争の緒戦となった。仁川上陸軍護衛の日本艦隊は陸兵揚陸後、仁川港内列国軍艦に対しロシア艦攻撃を通告。同日正午、港外に出たロシア艦二隻に対して砲撃を加え沈没させ、翌一〇日、対露宣戦が布告された。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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仁川沖海戦
じんせんおきかいせん
日露戦争直前の日本とロシアの海戦。 1904年2月8日,朝鮮の仁川港に入港した日本の巡洋艦6隻が,港内のロシア巡洋艦『ワリヤーグ』,砲艦『コレーツ』とロシア汽船に対し,出港しなければ攻撃すると威嚇し,9日にロシア艦隊が出港したところを沖まで追跡して砲撃した。『ワリヤーグ』は沈み,ほかの2隻は自沈した。日本巡洋艦は,『千代田』『高千穂』『浅間』『浪速』『明石』『新高』。司令官は瓜生外吉少将。 10日に日本はロシアに対して宣戦布告した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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