出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪市平野区瓜破西之町に所在する弥生(やよい)時代の遺跡。標高7~10メートルの低い丘陵の末端に位置し、前期から後期に及ぶ各時期の土器や石器などが採集されているほか、後期の土器に伴って貨泉(かせん)(中国古貨幣)が発見されている。1952年(昭和27)に実施された発掘調査では、弥生前期の竪穴(たてあな)が検出されており、多くの土器や炭化米のほか、未成品を含む木製鍬(くわ)先などが発見されている。約900メートル北に位置する瓜破北遺跡では、76年から開始された発掘調査によって、弥生時代前期から古墳時代に至る遺構や遺物が検出されており、古墳時代前期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)からは、中国、王莽(おうもう)代の方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)片と、懸垂のために2孔をあけた後漢(ごかん)代の内行花文鏡(ないこうかもんきょう)片が発見されている。
[田代克己]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...