田中 希代子(読み)タナカ キヨコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田中 希代子」の解説

田中 希代子
タナカ キヨコ


職業
ピアニスト

生年月日
昭和7年 2月5日

出生地
東京

学歴
パリ音楽院〔昭和25年〕卒

経歴
父はバイオリン田中詠人、母は声楽の田中伸枝という恵まれた音楽環境に育ち、7歳で井口基成、16歳から安川加寿子師事、昭和24年第18回音楽コンクールで第2位入賞、特賞を受けた。25年デビュー・リサイタルを開いてフランス留学、パリ音楽院でラザール・レヴィに学んだ。27年ジュネーブ国際音楽コンクールで第2位、28年パリでリサイタルの後、同年ロン・ティボー国際コンクール第4位、30年ショパン国際コンクールでは日本人として初の10位入賞を果たし、“東洋の天才少女”と絶賛された。以来、ヨーロッパと日本で演奏活動をし、30年代から40年代にかけて日本では一世を風靡したが、悲運にも病気に見舞われ、43年の京都市交響楽団との共演最後に演奏活動を断念する。以後、車いすの生活を送りながら国立音大・桐朋学園大の講師として後進指導に当たった。ポーランドや日本の放送局に残っていた録音がCD化され、その業績により、平成5年新日鉄音楽賞特別賞を受賞した。

受賞
新日鉄音楽賞(特別賞 第3回)〔平成4年〕 音コンピアノ部門第2位(第18回)〔昭和24年〕,ジュネーブ国際音楽コンクール第2位〔昭和27年〕,ロン・ティボー国際コンクール第4位〔昭和28年〕

没年月日
平成8年 2月26日 (1996年)

家族
父=田中 詠人(バイオリニスト),母=田中 伸枝(声楽家),弟=田中 千香士(バイオリニスト)

伝記
田中希代子―夜明けのピアニスト 萩谷 由喜子 著(発行元 ショパン ’05発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田中 希代子」の解説

田中 希代子
タナカ キヨコ

昭和・平成期のピアニスト



生年
昭和7(1932)年2月5日

没年
平成8(1996)年2月26日

出生地
東京

学歴〔年〕
パリ音楽院〔昭和25年〕卒

主な受賞名〔年〕
音コンピアノ部門第2位(第18回)〔昭和24年〕,ジュネーブ国際音楽コンクール第2位〔昭和27年〕,ロン・ティボー国際コンクール第4位〔昭和28年〕,新日鉄音楽賞(特別賞 第3回)〔平成4年〕

経歴
父はバイオリンの田中詠人、母は声楽の田中伸枝という恵まれた音楽環境に育ち、7歳で井口基成、16歳から安川加寿子に師事、昭和24年第18回音楽コンクールで第2位入賞、特賞を受けた。25年デビュー・リサイタルを開いてフランスに留学、パリ音楽院でラザール・レヴィに学んだ。27年ジュネーブ国際音楽コンクールで第2位、28年パリでリサイタルの後、同年ロン・ティボー国際コンクール第4位、30年ショパン国際コンクールでは日本人として初の10位入賞を果たし、“東洋の天才少女”と絶賛された。以来、ヨーロッパと日本で演奏活動をし、30年代から40年代にかけて日本では一世を風靡したが、悲運にも病気に見舞われ、43年の京都市交響楽団との共演を最後に演奏活動を断念する。以後、車いすの生活を送りながら国立音大・桐朋学園大の講師として後進の指導に当たった。ポーランドや日本の放送局に残っていた録音がCD化され、その業績により、平成5年新日鉄音楽賞特別賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「田中 希代子」の解説

田中 希代子 (たなか きよこ)

生年月日:1932年2月5日
昭和時代;平成時代のピアニスト
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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