20世紀日本人名事典 「田中恭吉」の解説
田中 恭吉
タナカ キョウキチ
大正期の版画家
- 生年
- 明治25(1892)年4月9日
- 没年
- 大正4(1915)年10月23日
- 出生地
- 和歌山県和歌山市堀止
- 別名
- 号=未知,未知草
- 学歴〔年〕
- 徳義中卒,東京美術学校彫刻科中退
- 経歴
- 明治43年上京、白馬会洋画研究所、東京美術学校日本画科で学ぶ。45年フュウザン会第1回展に出品。大正3年9月〜4年11月にかけて「月映(つくばえ)」誌に木版画と詩歌を発表するが、その直前胸を病み、郷里に臥して、その発表はすべて友人の版画家・恩地孝四郎による。遺作は、6年に刊行された萩原朔太郎「月に吠える」の装画、また9年日本創作版画協会の展覧会や版画誌などに発表された。没後、その作品は恩地孝四郎によって保存され、のち和歌山県立近代美術館に寄贈される。平成9年同美術館監修により作品集が刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報