田島利三郎(読み)たじまりさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田島利三郎」の意味・わかりやすい解説

田島利三郎
たじまりさぶろう
(1869―1931)

沖縄研究先駆者。新潟県出身。1891年(明治24)皇典講究所(国学院大学の前身)を卒業。1893年4月に沖縄県尋常中学校の国語教師として赴任。4年に満たぬ滞在中に、オモロ研究をはじめ沖縄の言語と文化を研究。そのおり精力的に収集し書写した『おもろさうし』などの多くの資料は、「琉球(りゅうきゅう)語学材料」と名づけられ、のちになってそのすべては中学時代の教え子である伊波普猷(いはふゆう)に譲られた。その資料は今日の沖縄研究、とくにオモロ研究の礎石といってよいであろう。伊波田島旧稿「琉球語研究資料」を『琉球文学研究』(1924)と改題して出した本がある。

外間守善 2018年10月19日]

『『琉球文学研究』(1924・青山書店/復刻版・1988・第一書房)』

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20世紀日本人名事典 「田島利三郎」の解説

田島 利三郎
タジマ リサブロウ

明治〜昭和期の沖縄研究家



生年
明治3年7月2日(1870年)

没年
昭和4(1929)年9月5日

出生地
新潟県岩船郡荒川町

学歴〔年〕
皇典講究所(現・国学院大学)卒

経歴
明治26年沖縄中学に国語教師として赴任。着任後、沖縄県庁編集の資料中に琉球語の文書「おもろさうし」を見出し、この文書を中心に沖縄の言語文化を研究。28年学校を免職となり、「琉球新報」の記者を務める傍ら、研究を続ける。30年上京し、片山潜らと親交。しばらく教え子の伊波普猷のもとに滞在、のち伊波に「おもろさうし」などの自筆写本を譲り、沖縄研究の大成を勧めた。その後、台湾に渡り、朝鮮などを放浪。「漠口公論」の編集者兼発行人として活動するが、漠口暴動の報道で発禁となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田島利三郎」の解説

田島利三郎 たじま-りさぶろう

1869-1931 明治-昭和時代前期の沖縄研究者。
明治2年生まれ。26年沖縄中学に国語教師として赴任,「おもろさうし」を中心に沖縄の言語文化を研究。28年解雇され,30年上京。36年研究資料を教え子の伊波普猷(いは-ふゆう)にゆずり,台湾,朝鮮などを放浪,昭和6年中国の漢口で客死した。63歳。新潟県出身。国学院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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