田畑修一郎(読み)タバタ シュウイチロウ

20世紀日本人名事典 「田畑修一郎」の解説

田畑 修一郎
タバタ シュウイチロウ

昭和期の小説家



生年
明治36(1903)年9月2日

没年
昭和18(1943)年7月23日

出生地
島根県益田町(現・益田市)

本名
田畑 修蔵

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔昭和2年〕中退

経歴
学生時代から宇野浩二師事。大正15年玉井雅夫(火野葦平)らと同人誌「街」創刊、「林檎樹の猫」を発表。昭和6年蔵原伸二郎らと「雄鶏」創刊、7年「麒麟」と改題。同年「鳥羽家の子供」「父母系」発表。9年丹羽文雄らと「世紀」、翌年「木靴」を創刊。作品集「鳥羽家の子供」が中山義秀の「厚物咲」と13年上半期芥川賞を競う。他に短編集「乳牛」「悪童」「蜥蜴の歌」、長編「医師高間房一氏」「郷愁」、紀行「出雲石見」、童話「さかだち学校」など。「田畑修一郎全集」(全3巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田畑修一郎」の意味・わかりやすい解説

田畑修一郎
たばたしゅういちろう
(1903―1943)

小説家。本名修蔵。島根県生まれ。少年時、父河野弥吉が事業の失敗から自殺したため、継母田畑キクの養子となる。この養母との確執や孤独感が田畑文学の基調となった。1927年(昭和2)早稲田(わせだ)大学英文科中退。翌年の養母の死を契機に、遺産を整理して創作活動に専念。32年、少年時の体験に基づく短編『鳥羽(とば)家の子供』(1938年作品集として刊行し、芥川(あくたがわ)賞候補となる)や『父母系』(1932)で文壇に出たが、おもに『街』『雄鶏(おんどり)』『世紀』などの同人誌を中心に活動。三宅(みやけ)島を舞台とする『南方』(1935)あたりから注目された。著書には長編『医師高間房一氏』(1941)、『郷愁』(1944)、紀行『出雲(いずも)・石見(いわみ)』(1943)、童話『さかだち学校』(1942)などがある。

[柳沢孝子]

『『田畑修一郎全集』全三巻(1980・冬夏書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田畑修一郎」の意味・わかりやすい解説

田畑修一郎
たばたしゅういちろう

[生]1903.9.2. 島根
[没]1943.7.23. 盛岡
小説家。本名,修蔵。早稲田大学英文科中退。在学中に丹羽文雄,火野葦平らと『街』を発刊,創作集『鳥羽家の子供』 (1938) で認められた。世俗への反発と野性への渇望を柔軟透明な筆致で描く地味な作風で知られる。ほかに長編『医師高間房一氏』 (41) ,長編童話『さかだち学校』 (42) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田畑修一郎」の解説

田畑修一郎 たばた-しゅういちろう

1903-1943 大正-昭和時代前期の小説家。
明治36年9月2日生まれ。宇野浩二に師事。早大在学中に「街」を,昭和6年小田岳夫らと「雄鶏(おんどり)」を創刊。「鳥羽家の子供」で芥川賞候補となる。「さかだち学校」で童話に新境地をひらくが,民話取材旅行中の昭和18年7月23日急死。41歳。島根県出身。早大中退。本名は修蔵。

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367日誕生日大事典 「田畑修一郎」の解説

田畑 修一郎 (たばた しゅういちろう)

生年月日:1903年9月2日
昭和時代の小説家
1943年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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