小説家。明治37年11月22日、三重県四日市に生まれる。生家は浄土真宗専修寺(せんじゅじ)高田派の末寺。婿養子であった父と祖母の不倫な関係も一因して、母は地方回りの旅役者と出奔。文雄5歳のときである。この事件はのちに彼の文学モチーフの原型となり、出世作『鮎(あゆ)』(1932)、『青麦』(1953)、『菩提樹(ぼだいじゅ)』(1955~56)、『有情(うじょう)』(1962)、『一路』(1962~66。読売文学賞受賞)、『無慚無愧(むざんむき)』(1970)などの伏線になる。1923年(大正12)第一早稲田(わせだ)高等学院に入学、のちに文学部国文科に進む。新庄嘉章(しんじょうよしあきら)、尾崎一雄、浅見淵(ふかし)、田畑修一郎、火野葦平(あしへい)、寺崎浩(ひろし)、中山省三郎らと友人になり、同人誌『街』に『秋』(1926)を発表。29年(昭和4)早大卒業。帰郷して一時期僧侶(そうりょ)生活に入ったが、『鮎』が『文芸春秋』に掲載されたのを機に無断上京し、以来作家生活に入る。丹羽文雄の作風は戦前の「マダムもの」、その延長上にある戦後の『厭(いや)がらせの年齢』(1947)をはじめとする風俗小説、後期に多い生家の寺院を背景にした仏教的小説の3種類に分けることができる。いずれにも共通しているのは丹羽リアリズムといわれる無私非情なカメラ・アイのような描写であろう。とくに後年の大河小説風の大長編『親鸞(しんらん)』(1965~69)、『蓮如(れんにょ)』(1971~81。野間文芸賞受賞)は長年にわたる彼の文学活動の集大成であった。作品活動以外にも日本文芸家協会の運営に尽力、また同人雑誌『文学者』を独力発行し後進の育成に寄与した。64年(昭和39)芸術院会員、77年文化勲章受章。
[松本鶴雄]
『『丹羽文雄文学全集』全28巻(1974~76・講談社)』▽『『蓮如』全8巻(1982~83・中央公論社)』▽『村松定孝著『丹羽文雄』(1956・東京ライフ社)』▽『松本鶴雄著『丹羽文雄の世界』(1969・講談社)』▽『上坂高生著『有馬頼義と丹羽文雄の周辺』(1995・武蔵野書房)』
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…丹羽文雄(1904‐ )の短編小説。1947年(昭和22)《改造》に発表。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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