田野々村(読み)たののむら

日本歴史地名大系 「田野々村」の解説

田野々村
たののむら

[現在地名]大野原町五郷田野々ごごうたのの

井関いせき村の南西にあり、高尾たかお(四九五・五メートル)の南麓谷間に集落が展開する。寛永国絵図では和田わだ郷に属し、「田野」とみえる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では田野々村の高一三〇石余、同一八年の小物成は綿五〇匁・炭一〇石(一ヵ月八斗三升宛)であった(山崎領小物成帳)。「西讃府志」によると高一〇九石余と二世紀前と比べても減少している。家数八九・人数三九七、牛一六・馬四。享保一九年(一七三四)には八挺の鉄砲があり、害獣の威嚇手段として使用していた。


田野々村
たんのむら

[現在地名]上勝町あさひ

樫原かしはら村の南に位置し、勝浦川支流の旭川が流れる。これに注ぐ竜谷りゆうたに川をさかのぼると竜峠に至る。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「田なの」、寛永一五―一八年頃の作製と推定される阿波国大絵図では「田ノ村」と記される。正保国絵図では勝浦山坂本さかもと村のうちと考えられ、「勝浦山の内 田野村」とみえる。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では勝浦山坂本村の枝村として記載される。


田野々村
たののむら

[現在地名]吾北村上八川上分かみやかわかみぶん 柿藪かきやぶ連行れんぎよう小申田こさるだ

古江ふるえ村の北東、上八川川上流一帯を村域とするが、集落は北にあるじんもり(一〇一三・三メートル)の南麓、標高五〇〇メートルほどの緩斜面に発展する。上八川村の枝村。北東にあるごうみね峠を越えると、土佐郡石原いしはら(現土佐町)、それより道は土居どい(現土佐町)方面に延びる。

天正一八年(一五九〇)の後山小川村地検帳には田野々の村名はなく、上八川内小猿田村として六八筆が記される。このうちにはすでに「レンキヤウ」などの地名もみえ、「土佐州郡志」は田野々村の項に「有柿藪・連行・室屋・酒屋・小猿田等地名」と記すから、江戸時代に入って独立村とされる折に改名されたものか。


田野々村
たののむら

[現在地名]城川町田穂たほ

魚成うおなし川上流の田穂川に沿う山村。南北を四〇〇メートル級の山に囲まれる。魚成五村の一(→魚成村。「墅截」は「田野村」、「大成郡録」は「田野々村」と記す。江戸中期頃までには田穂村と改称した。

太閤検地の石高は一九〇石八斗二升九合、耕地面積の比率は田五七パーセント、畑四三パーセントである。寛文検地では石高が約一・七倍に増え、面積の比率は田四五パーセント、畑五五パーセントと変化している。「墅截」による村柄は「上」、耕地は田・畑とも「上」、水掛りも「吉」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田五反三畝一七歩、畑五反六畝一六歩であり、百姓数四九人のうち本百姓二二人、半百姓二〇人、四半百姓六人、庄屋一人に分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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