日本歴史地名大系 「畔屋村」の解説
畔屋村
あぜやむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「畔屋村 茅山有、日損所、小川有」と村名がみえ、干害を受けやすい村であった。天和元年(一六八一)の「宇和旧記」には畔谷村と表記される。宇和島藩領。
太閤検地の石高は三五八石五斗で、耕地面積の比率は田七二パーセント、畑二八パーセント。寛文検地には石高が四九パーセントも急増し、水利の改善とともに耕地開発の進んだことが考えられる。「墅截」によると、村柄は「中」、田が「上ノ中」、畑は「中」とされ、水掛りも「中」となっている。
畔屋村
あぜやむら
畔屋村
あぜやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報