異常性欲,すなわち性欲の異常な発現は質的異常と量的異常とに一応大別することができる。しかしそのうち質的異常についてはっきりした定義を下すことは困難である。性という現象は,歴史的・社会的・地理的・文化的影響を間断なく受けており,それゆえにその正常・異常の基準はつねに変動するからである。正常と異常との境界はあいまいというほかはない。異性間の合意に基づく通常の性交を至上究極のものとみる立場をとれば,それ以外のさまざまな手段が性交を凌駕する性的快感をもたらすゆえをもって重視されたり習慣化している状態は,異常とみなすことができる。昔とはことなり今日あらゆる種類の性的前戯は異常とはふつうみなされないが,それらが性感獲得のための最上の手段となっている場合は,それが個人のもつ心理的困難のなんらかの反映である可能性は否定できず,フェティシズム,服装倒錯,動物性愛,小児愛,露出症,窃視症,性的マゾヒズム,性的サディズムなどがふつうその質的異常とみなされる。かつては同性愛もこの範疇に入るとされていたが,同性愛にもこの傾向にみずから悩まない自我親和的な同性愛と,この傾向に悩み異性愛への転向をつねに望む自我違和的なものとがある。アメリカの精神医学界は,後者のみを治療の対象になるものと考え,前者は精神障害とはみなさない立場をとっている。これはアメリカをはじめとする欧米先進国における同性愛サブカルチャーの興隆と主張とに対応した動きでもある。なお,今日の精神医学では,同性愛を精神障害とみなすことはない。
フロイトは人間の幼児時代は多形倒錯的であると主張した。のぞく,露出する,大小便に興味をもつ,サド・マゾヒズム的傾向などが幼児期に明瞭にみられる。幼児期はまた性感帯としての口唇部,肛門部の活動の旺盛な時期でもある。前者は成人の性的前戯に,後者は同性愛の場合に意味をもってくる。異性愛に移行する前にはなんぴとにも一時的に多少なりとも同性愛的傾向が生じることは精神分析ならびに発達心理学の教えるところでもある。フロイトの見方に立てば,性の質的異常を呈する者は,幼児性欲の段階に固着している者であるといえよう。
性欲の量的異常としては,性欲の減退と性欲の亢進とがある。しかし双方ともに一時的・一過性(例えば,気分の変動を伴う性欲の減退と亢進)のものは,異常性欲とはいえない。理論的には,体質的,内分泌的要因による性欲の量的異常が考えられないわけではないが,現実にはそのような現象はほとんど存在しないとみてよい。現実に存在するのは,外見上の減退と亢進とである。すなわち減退は感情発達の未熟や持続的な心的葛藤に基づく性欲発現の抑制である場合が多い。また性不能症(インポテンツ)や冷感症のごとき性機能障害は,性欲の減退とイコールではない。自慰の激しい性不能者もいれば,性交回数の多い冷感症者もいるわけである。性欲の亢進も真性のものはまれである。これも心的葛藤の結果,性的満足を得たいためにつぎつぎと性交を反復する場合が一見亢進にみえることが多い。ドン・フアン風の漁色家は固着が強く自己愛的であるといわれているし,漁色が内実は権勢欲の表現であることもある。女性の場合も,無意識的にはペニス羨望と口唇愛の強い自己愛者に異性遍歴が多いとされる。要するに男のサチリアジスsatyriasisと女のニンフォマニアnymphomaniaと称せられる性欲亢進行動は,内実は神経症的なふるまいと解釈できることが多いということである。老人に性欲亢進がみられることがあるが,これは脳の老化に基づく自己抑制の減弱の表れであることが多い。
→性倒錯
執筆者:下坂 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
異常性欲については、性欲の亢進(こうしん)あるいは低下といった量的異常と性対象の異常、性目標の異常といった質的異常に分けて考えるのが一般的であるが、最近ではこれらを総称して「性障害」とよび、次のように分類して考えるのが一般的である。
(1)性機能の不全
性的欲求の低下、亢進や性嫌悪、男性の勃起(ぼっき)障害、あるいはオルガズム障害、早漏、膣(ちつ)けいれんなどによって性機能の障害がおこるもの。
(2)性嗜好(しこう)障害
露出症、フェチシズム、小児性愛、性的マゾヒズム、服装倒錯的フェチシズム、窃視症のほかに獣愛、死体愛などの性嗜好異常がある。かつてはこれらを性目標の異常ならびに性対象の異常(性的倒錯)に分けて考えていた。
これらの性的異常は文化や社会、地域、時代によってなにを異常とするかについては多少異なり、にわかに決めがたいところがある。一般には行為者あるいはそのパートナーがその行為によって心身の重い障害を残す場合、性的パートナーのいずれか一方が納得できない行為であったり、強制された行為である場合、心理的、肉体的、性的に未熟な小児などを対象とした行為などは異常な性行動とみなされることが多い。
また、性の量的異常に関しても、性交回数やオルガズムの頻度はどのくらいが正常であるかは決めがたいところがある。したがって、医学的には性機能の障害の背景に身体的疾患などがあるとき、あるいは性障害のために自分自身が悩んだり、その行為のために周囲を苦しめたり、害が及んだときに治療対象となると考えるべきであろう。
[山内俊雄]
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