改訂新版 世界大百科事典 「幼児性欲」の意味・わかりやすい解説
幼児性欲 (ようじせいよく)
infantile sexuality
S.フロイトの性欲についての中心理論の一つ。フロイトは人間の性の欲求の発達は,乳幼児期からすでにはじまると考えた。乳児の吸乳行為は,本来は栄養衝動に根ざしているが,この本能としての食欲に依存しながらも,これに伴う口唇・口腔器官の快感が二次的にも独立してくる。すなわち乳児は空腹でないときでもおしゃぶりで栄養をとるさいの動作を反復して,深い満足を味わう。おしゃぶりはやがて指しゃぶりに発展し,また自慰と結合することすらある(口唇期)。また大便の通過による肛門部への粘膜刺激も快感となる。この快感獲得をめざす幼児は,便をぎりぎりまでためこみ一挙に排出するので,親のトイレット・トレーニングの意のままにはならない(肛門期)。3,4歳から5,6歳になると男女ともに性器への興味をはっきり示すようになるが,それは性交を表象する興味ではなく,積極性や格別の快感をもたらすものとしての男女に共通する男根(ペニス)への関心である(男根期)。なお吸乳時において乳首を嚙むこと,ならびに排便時における貯留と排泄とには,サディスティックな満足がからむ。
これら口唇,肛門,男根に集中する幼児の快感は,やがては成人の異性との結合をめざす性器性欲(性器期)に連続し統合される〈部分欲動〉である。したがって幼児性欲は〈前性器的〉である。〈性器的〉と〈性的〉とは明確に区別されるべきものであり,幼児性欲は〈性的〉ではあっても〈性器的〉ではない。また快感獲得の対象が主として自己自身の身体部分であるという意味で〈自体愛的〉(オートエロティズム)である。また,性器以外の身体部位がエロティックな満足をもたらすのだから〈多形倒錯的〉でもある。実際さまざまな性倒錯者は,フロイトによって幼児性欲の段階に固着したものとみなされている。また神経症は,エディプス・コンプレクスの克服に失敗して,性器性欲の段階から,幼児性欲の段階に退行したものと解釈される。
フロイトの幼児性欲説は,これまで精神分析学派内で全面的な否定を蒙ったことはないが,イギリスの対象関係学派のフェアベアンW.R.D.Fairbainは,1952年に,幼児は快楽を求める存在ではなく,対象(母親)をはじめから求める存在であると明言した。この見方からすれば,フロイトのいう幼児の自体愛は一次的なものではなく,幼児の自慰や指しゃぶりのような自体愛的行動は,他者の愛情獲得の象徴的な等価物であり,対象が得られないための代償的な行為であるということになる。
→性欲
執筆者:下坂 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報