日本歴史地名大系 「白塚村」の解説
白塚村
しらつかむら
とあり、
文明年間(一四六九―八七)伊勢湾の海上で、通行の船舶より「新警固役」と称する新設の通行税を取立てる者が現れるが、文明一二年の「内宮引付」(神宮文庫蔵)によると、「泊大里分」の代官と称して横行する「白塚賀藤」なる者の存在が知られる。泊大里は現鳥羽市鳥羽かと思われるが、また「白塚賀藤并津之稲垣方、於両所、致新儀」(同年一〇月一二日付氏経書状)と記されているから、白塚や津あたりで行っていたのではないかとも推察される。
白塚村
しらつかむら
白塚村
しらつかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報