日本歴史地名大系 「石部神社」の解説 石部神社いそべじんじや 滋賀県:愛知郡愛知川町沓掛村石部神社[現在地名]愛知川町沓掛沓掛(くつかけ)集落北端部、石橋(いしはし)から磯部(いそべ)に通ずる道路の南にある。祭神は天照坐(あまてらします)皇大御神・天日方奇日方(あめひがたくしひがた)命・大名牟遅(おおなむち)命。旧県社。境内社に石部上社がある。創建年代は未詳だが、天和元年(一六八一)の社蔵文書によると、崇神天皇七年三月に天照坐皇大御神・天日方奇日方命の二座を祀るという。天日方奇日方命は石部の祖神である。翌年九月神宣により大名牟遅命を相殿に勧請。垂仁天皇の代に、天照大神が大和笠縫(かさぬい)村より伊勢の度会(わたらい)村(現三重県伊勢市)に移るときに、当社で半年奉安をした。そのことにより石部神社の祭神は二座と相殿一座と決定した、と述べている。「延喜式」神名帳に記載の愛知(えち)郡「石部(イソベノ)神社二座」に比定される。 石部神社いそべじんじや 石川県:小松市旧能美郡地区国府村石部神社[現在地名]小松市古府町古府(こふ)町南部の梯(かけはし)川近く、船見(ふなみ)山にあり、主祭神は櫛日方別命。旧郷社。「延喜式」神名帳記載の能美郡八座の一つ「石部(イソヘノ)神社」に比定される。弘仁一四年(八二三)の加賀国設置の時、国府の南にあたっていたので府南(ふなみ)社といわれ、加賀国の総社で、石部総社明神ともいった。「白山之記」に「府南惣社也」と記される。同書のその部分は、長寛元年(一一六三)に成立した原形部分ではなく、正応四年(一二九一)の書写までの間に、新たに加えられた増補部分であるとされる。しかし府南社の初見史料である「為房卿記」をみると、寛治五年(一〇九一)七月一日に府南社において祈雨読経結願がなされ、七月一〇日には上道祈願のため大般若経が転読され、七月一五日には神輿が国分寺に移されて斎会が行われていることから、この時期には単なる府中鎮守ではなく、総社としての機能を果していたようである。 石部神社いしべじんじや 福井県:鯖江市磯部村石部神社[現在地名]鯖江市磯部町磯部(いそべ)の北方中央の山麓にある。祭神は吉日古(えひこ)命・吉日売(えひめ)命。旧村社。「延喜式」神名帳の今立(いまだて)郡一四座中のうち「石部(イシヘノ)神社」に比定される。もと字鳥立山(とりたてやま)にあったが、明治九年(一八七六)現在地に移された。社伝では当地に居住した多気連が祖先の吉彦・吉姫の二神を氏神として祀ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by