大村 彦太郎(10代目)
オオムラ ヒコタロウ
明治・大正期の実業家 白木屋社長;貴院議員。
- 生年
- 明治2年3月26日(1869年)
- 没年
- 昭和2(1927)年12月13日
- 出生地
- 京都府
- 学歴〔年〕
- ケンブリッジ大学卒
- 経歴
- 白木屋呉服店・9代目店主彦太郎の長男として京都に生まれる。商業素修学校で学び、のち上野松坂屋呉服店にて変名で2ケ月間修業。明治20年米国を経て英国に留学し、ケンブリッジ大学を卒業。28年帰国して10代目を継ぎ、東京の店舗設備を洋式にし人気を得、大阪・京都に支店を開く。大正7年貴院議員。東京銀行、日本織物の役員も務めた。また茶道、謡曲に造詣が深く、茶湯は裏千家に学び13世円能斎と親交を持った。その縁で今日庵が衰微し利休堂・利休像などが人手に渡りかけた時巨額の費用で買い取り今日庵へ返納した。著書に「文壇うたかた物語」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
大村彦太郎 (おおむらひこたろう)
生没年:1636-89(寛永13-元禄2)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
大村彦太郎(初代)
没年:元禄2.1.20(1689.2.9)
生年:寛永13(1636)
江戸前期の商人。幼名は彦四郎。号は可全。屋号は白木屋。近江国(滋賀県)長浜村生まれ。幼くして父母を失い,母方の長浜の材木商河崎家で育った。慶安4,5(1651,52)年ごろ,河崎家の援助で京都に材木店を出店,さらに寛文2(1662)年に江戸の通町に小間物店を設け,本格的に江戸での商売を始めた。以後,呉服の取り扱いを拡大し,元禄10(1697)年には本町通の大呉服店17軒の一角に挙げられるに至っている。初代彦太郎によって地歩の固められた白木屋は,江戸の代表的な呉服問屋として,戦後,東急百貨店日本橋店となるまで続いた。<参考文献>『白木屋三百年史』,林玲子『江戸問屋仲間の研究』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
大村彦太郎(初代) おおむら-ひこたろう
1636-1689 江戸時代前期の商人,俳人。
寛永13年生まれ。慶安5年京都に材木店白木屋を開業。その後,呉服,木綿などの販売で富をえた。寛文2年江戸日本橋にひらいた店が,明治以降白木屋百貨店へと発展した。北村季吟に俳諧(はいかい)をまなぶ。元禄(げんろく)2年1月20日死去。54歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は可全。号は道慈。
大村彦太郎(10代) おおむら-ひこたろう
1869-1927 明治-大正時代の実業家。
明治2年3月26日生まれ。白木屋呉服店9代店主大村彦太郎の長男。明治20年イギリスに留学。28年帰国して10代をつぎ,大阪,京都に支店をひらく。大正7年貴族院議員。東京銀行,日本織物の役員もつとめ,また茶道に造詣(ぞうけい)がふかかった。昭和2年12月13日死去。59歳。京都出身。号は梅軒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の大村彦太郎の言及
【白木屋】より
…なかでも江戸日本橋通町の呉服・小間物問屋白木屋彦太郎が著名である。初代[大村彦太郎]可全(1636‐89)は近江国長浜村の生れで,1652年(承応1)京都で材木店を始めた。62年(寛文2)江戸に進出して小間物店を設け,徐々に呉服類に手を広げ,木綿,繰綿なども扱い,江戸有数の大店へ成長した。…
※「大村彦太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 