表に着る衣服によって他人の目から隠される、あるいは大部分が隠されてしまう衣服の総称。
[深井晃子]
英語ではアンダーウエアunderwear、アンダークローズunderclothes。業界ではインティメート・アパレルintimate apparelが使われる。着用目的は、体そのものを保護し、主として衛生上の目的で着る(肌着)、外側の衣服を支えたり、滑りをよくしたり、形を整えたりするなどである。さらに、下着着用の社会的モラルとのかかわり、異性に対する性的魅力を高める心理的効果なども見逃せない。
広義の下着には非常に広範囲の衣類が含まれる。肌着や補正用下着のほかに、ベストやワイシャツ、ナイトウエア類、室内着、ストッキング類などである。今日では、下着には次のようなものが含まれる。男子用下着は肌着が中心で、上半身につけるアンダーシャツundershirt(Tシャツ、タンクトップなど)と、下半身用のパンツ(ブリーフ、トランクス、ズボン下)との構成が一般的。素材には木綿を中心としてウール、麻、合繊、ストレッチ繊維、またはこれらの混紡の、体になじみやすいニット(メリヤス)地のものが多く用いられている。暖房設備などの室内環境の整備に伴い、近年簡素化、軽量化の傾向が著しい。
女子用下着は日本では、体形を整える機能をもった下着をファンデーションfoundation、それ以外の下着をランジェリーlingerie(フランス語を語源とし、女性用下着類の意)とよんでいる。ファンデーションには、ブラジャーbrassière、ガードルgirdle、ボディスーツbodysuitなどがあり、ランジェリーはスリップslip、キャミソールcamisole、ペチコートpetticoat、テディteddy、肌着、ショーツshorts(パンティpanties)などである。ランジェリーは装飾的要素も強く、木綿、シルク、麻、ウール、合繊が用いられ、レースなどでトリミングされる。ファンデーションは女性下着の特殊性を如実に示しており、現代のように人体そのものの美しさが追求される時代には、自然のボディラインを整えるためのものとして、ストレッチ性素材を駆使し、ソフトな胸やヒップの形を保つものがつくられる。しかし、人体とかけ離れた造形的衣服のシルエットが追求された過去の時代には、人体を擬装する道具であった。とくにルネサンスから19世紀にかけての女性服の流行は、創造的シルエットの変遷であったから、その構築的シルエットを支えるために、外衣以上にくふうを凝らしたさまざまな下着を必要としたのである。
したがって、これら広範な下着類のすべてを含んでの歴史的経過を記述することはむずかしい。重要なことは、下着は外側の衣服、つまり表着のシルエットと絶えず密接なかかわりあいをもちながら変化してきたという点である。古代には、下着は表着と明確な差をもっていなかった。特権的色合いを強くもつ古代エジプトの衣服のなかで、重ね着をした2枚のチュニックの内側のものを下着の起源とみることもできる。女性に固有な下着としては、古代クレタのコルセットとクリノリンの原型にその起源をみることもできる。
中世に入ると北方民族の影響を受けて重ね着がおこり、緩やかな麻製の下着が用いられるようになる。これはシャツ(シュミーズ)の原型となり、こののち、ワイシャツ、ナイトシャツ、スリップなどが生み出されていく。ルネサンス時代になり、衣服はより精巧なものへと発展していった。このころ、下着の装身性は増し、シャツがスリットやスラッシュを通して表に現れ、襟元や袖口(そでぐち)から装飾的な襟やカフスをのぞかせた。女子服では、創造的外形を支えるためにコルセットとファージンゲールfarthingaleというフープhoopが重要な役割を果たすようになる。この2種類の下着こそ、形や名称の違いがあるにせよ、その後19世紀末まで、女性服のシルエットを支える下着として、きわめて重要な役割を果たしたものである。20世紀初期、コルセットが短くなり、腰部のみを覆うものとなったとき、胸を支える必要性からブラジャーが誕生した。さらに1920年代以降、スカート丈の短縮化に伴い、ようやくショーツが一般的に女性の必需品として定着し、ほぼ現在の様式が確立された。第二次世界大戦後は、化学繊維、とくにストレッチ性のある素材の開発により、次々と機能的な下着が生み出された。日本で洋装下着が着用されるのは、洋装化に伴う20年代であるが、一般的になるのは第二次世界大戦後である。
一方男子服では、中世には外衣であったブレーbraies(ズボン)が、11世紀ごろから衣服の下に隠されて下着となる。ルネサンス期からはホーズhose(タイツ状靴下)も不可欠のものとなった。18世紀に入ってコート形の衣服を採用するようになると、胸元からのぞくシャツ(ワイシャツ)はさらに重要となり、基本的には現在まで持続されている。
このように、下着と外衣との区分は時代によって変化する。男性用ワイシャツは歴史的定義づけによれば下着であり、下着であったTシャツは現在では外衣として受け止められている。1990年代末にはランジェリーそのままのような、キャミソール・ルックが流行した。今後も、新しい素材の開発、性モラルの変化、環境の変化などにより、下着の範囲はさまざまに変遷していくであろう。
[深井晃子]
下着は、(1)襲(かさね)の下着、(2)肌に直接着用する肌着、(3)上着と肌着との間に着る間着(あいぎ)などである。和服の場合、下着といえば襲(2枚、3枚)の襲下着をさしていうが、肌着類とはっきり区別のつかない点がある。
(1)襲下着 武家や富裕な町人などの羽二重(はぶたえ)紋付の下着の場合は鼠無垢(ねずみむく)、浅葱(あさぎ)無垢を用いる。無垢とは表裏同質同色のもののことをいう。羽二重の無地染めや熨斗目(のしめ)の下着は白羽二重、または小紋染めの下着を用いる。庶民の男子は白下着の着用は禁止されていた。御殿女中は礼服から褻服(けふく)(普段着)まで、白絹の下着を着用する。庶民の間でも、無地紋付の礼服には白下着を用いる。京坂の女子は白綸子(しろりんず)を用いるものもあった。晴れ着には小紋無垢の下着を主として用いる。江戸・京坂とも女子は、上着が白ならば下着も白であるが、小紋や縞(しま)の下着には、周りと中とを異なった布地、色、柄を用いることが多い。これを額(がく)仕立て(胴抜き仕立て)といい、下着を華美にする目的と、裂地(きれじ)を継ぎ合わせて用いる節約の目的との2種がある。額仕立てのとき男子用では周りと中の2色である。女子用では2色が望ましいとするが、3色以上用いる場合もある。下着を2枚重ねる場合、下に着るほうを額仕立てにする。着用法は初冬と春の中ごろには、1枚の下着を上着とあわせて2枚を一つ衿(えり)に着る。冬期には、下着2枚を上着とあわせて、3枚を一つ衿に着る。この着方は明治から大正初期のころまで用いられた。大正後期以後は二枚重ね一つ衿が多く用いられるようになり、続いて胴を袷(あわせ)仕立てとし、袖口、振り、衿、裾(すそ)回りを二枚重ねに仕立てた本比翼へと簡略化された。第二次世界大戦後はさらに、上着は完全な袷に仕立て、袖口、振り、衿、裾回りを別に仕立て、その周囲を上着に絎(く)け付ける付け比翼へと移行し、黒留袖五つ紋付も付け比翼に仕立てられている。
大正末期から訪問着が流行し、重ねは黒紋付以外は廃れた。喪服も、第二次世界大戦前は黒五つ紋付白衿の二枚重ねを一つ衿に着用していたが、戦後は二枚重ねを着用しなくなった。近年、訪問着や盛装に衿元を二枚重ねのように見せかける重ね衿(伊達(だて)衿)へと派生し、平安時代の襲の色目を思わせるように、長着との配色に心を配り着装するようになった。なお婚礼衣装としての打掛の下に着る掛下は、二枚重ねで上を間着といい、下を下着という。
(2)肌に直接着用する肌着 男子は肌襦袢(じゅばん)、褌(ふんどし)、すててこなどである。明治時代の西洋文化移入により、シャツを着用するようになってから、和服の普段着には、肌襦袢を略して、シャツを肌着として用いるようになった。肌に直接には綿クレープのシャツまたは綿メリヤスのシャツを着てから、防寒用にはラクダの毛のシャツをこれに重ね、その上に半襦袢とすててこを着て着物を着るようになった。女子は肌襦袢、二布(ふたの)(脚布)または腰巻である。二布、腰巻は下半身に巻いて着るものである。これは湯具に用いられた湯文字(ゆもじ)の発展したものである。古くは女子は長襦袢を用いておらず、肌襦袢に湯文字を着け、その上に着物を着た。この湯文字、二布、脚布に緋(ひ)や浅葱の縮緬(ちりめん)などを用い、長めにして着衣したため、歩くとき裾からこぼれるようにこれが見えた。蹴出(けだ)したときに見えるところから、これを蹴出しといった。長襦袢を着衣するようになると蹴出しは見えなくなり、見えるのははでな模様の長襦袢の裾である。江戸末期、長襦袢を着ないで半襦袢に長襦袢と同じ感じを出すために、腰巻の上に長襦袢の下半身と同様のものを着衣するようになり、これをまた蹴出しといった。そして半襦袢の袖と蹴出しを共布でつくるようになり、蹴出しは裾除(すそよ)けともいわれた。腰巻、裾除け、蹴出しのいずれにも、上端に白の木綿の横布を縫い付け、初めは端を挟み込んで着衣したが、のちに紐(ひも)をつけるようになった。今日では、従来の蹴出しという用語は使われなくなり、裾除けの語が用いられている。裾除けの布地は滑りがよく、歩行するとき足さばきのしやすい、静電気のおこらないものがよい。キュプラ、レーヨン、綿などが適当である。今日、西洋の衣服の下着の下穿(したば)きが和服にも用いられるようになり、これに改良を加えて和服向きの下穿きが考案され、着脱の不便がなくなっている。また和服用胸パット、コルセットも市販されるようになった。
(3)上着と肌着との間に着る間着 間着には防寒用として胴着が用いられていたが、近年はこれにかわるものができている。下半身用には毛糸で輪に編んだスカート風の赤、ラクダ色のみやこ腰巻が用いられている。なお、これに類似しているものも市販されている。
[藤本やす]
『喜田川守貞著『近世風俗志』(1928・文潮書院)』▽『セシル・サンローラン著、深井晃子訳『女性下着の歴史』(1989・エディション・ワコール)』▽『C. Willett and PhillisHistory of Underclothes(1951, Michael Joseph, New York)』▽『Elizabeth EwingDress and Undress(1978, Batsford Ltd., London)』
広義には上着の下に着る衣類の総称であるが,一般には肌に直接つける衣類をいうことが多い。衛生,保温,体型の補整,装飾などのために用いられる。洋装の下着は用途によって肌着(アンダーウェアunderwear),基礎下着(ファウンデーションfoundation),装飾下着(ランジェリーlingerie)の3種に分けられる。いずれも木綿,麻,絹,羊毛,化学繊維などでつくられ,白,肌色,あるいは上に着る衣服と同色のものが用いられる。肌着にはアンダーシャツと呼ばれる上半身に着るシャツ類(ランニングシャツなど),ブリーフ,パンティ,ショーツ,ドロワーズ(日本ではズロースとも呼ばれる),股引,すててこなど下半身に着けるもの,上半身から下腿部まで覆うひと続きのコンビネーションなどがある。いずれも吸湿性,通風性,伸縮性,保温性に富む素材でつくられ,メリヤスなどニット製品が多い。ファウンデーションは女性用で,ブラジャー,ウエストニッパー,ボディスーツ,コルセット,ガードルなど胸やウエスト,腹部などをひきしめ,ヒップ・アップなど体型を整えるために用いられ,伸縮性と体に密着する性質をもつ素材でつくられる。ランジェリーも女性用でスリップ,キャミソール,ペティコートなどがあり,上に着る衣類のすべりをよくし,汚れや傷みを防ぐために用いる。またスカートの広がりなど流行のラインに合わせたり,装飾のためにも用いられる。ランジュlingeはフランス語で麻を意味し,もともと下着は多く麻でつくられていたところから名づけられた。現代では下着のみではなく,ナイトガウン,パジャマ,ネグリジェなど寝巻や室内でのくつろぎ着もランジェリーと呼ばれる。
西欧では,下着は防寒のために衣服を重ね着したことに始まった。古代ギリシアでは麻のイオニア式キトンの上に,毛織物のドリス式キトンを重ねていたし,ローマでは貴族の男性はトゥニカを2枚着て,その上からトガをまとった。中世に入ると独立した下着があらわれ,麻製のチュニック形のシュミーズが男女ともに用いられた。近世から近代にかけての,細い胴を強調したりスカートを大きくふくらませるファッションのもとで,女性はコルセットやかたいペティコート(ファージンゲールやパニエなど)を着けた。産業革命で綿布が普及すると,キャラコや厚手木綿が麻とともに下着の主要な材料となった。19世紀半ばに,裾を絞ったズボン風のパンタレッツpantalettesが下ばきとして女性と子どもに用いられた。19世紀末に男性の下着としてシャツとズボン下の続いたコンビネーションcombinationが普及し,20世紀初めには袖なしで膝丈となり,のちにシャツとブリーフに分かれた。女性の下着も20世紀に入りブラジャー,ドロワーズなどが普及した。薄地で保温,通風性にすぐれた素材の出現により,下着はしだいに軽快になり,ドロワーズはパンティやショーツとなった。下着の表着(うわぎ)化はかつて下に着ていたシュミーズが表着のシャツやブラウスとなったのと同じように,今日でも服装のカジュアル化に伴って,Tシャツのようにかつて肌着であったものが表着としてファッションにもとり入れられるようになっている。
執筆者:池田 孝江
広義には肌着,間着(あいぎ)のほか襲(かさね)下着がある。間着は上衣と肌着の中間に着るものの総称でもあるが,江戸時代に武家の女性が打掛の下に着た小袖を指し,今日では花嫁衣装にそのなごりをとどめ,掛下(かけした)と呼ばれる。襲下着は女房装束の表着(うわぎ)の下に着た衣服で下着ともいい,戦前の礼装の風習に残っていた。このように時代,階級,着装の変化とともに名称が移り変わり意味も異なるようになるが,小袖が一般化されると下着の種類も整って固有名詞で呼ばれるようになる。肌着としては,男子の下半身につけるふんどし系統のたふさき,ててら,肌帯,女性の腰巻系統の脚布(きやふ),下裳(したも),二布(ふたの),湯文字,さらにその上に着用する蹴出しがあった。明治時代にはこれらも和洋混交となり,男性はふんどしからさるまた,パンツ,ブリーフへ,女性は腰巻からズロース,パンティをはく習慣が定着した。上半身につける肌着は古くは上流階級の肌衣(はだぎぬ),肌小袖,汗とりがあったが,庶民は下衣(したごろも)と称した。上流階級はおもに白絹,庶民は麻で江戸時代には木綿を用いた。膚着(はだぎ),ててら,じゅばんと呼ばれた肌着が,半じゅばん,長じゅばんと分化したのも江戸時代後半である。肌着と表着の間につけるものに,防寒などのための胴着,股引などもあった。
執筆者:山下 悦子
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