白鳥城跡(読み)しらとりじようあと

日本歴史地名大系 「白鳥城跡」の解説

白鳥城跡
しらとりじようあと

[現在地名]富山市吉作

呉羽山くれはやま丘陵の最高峰である通称じよう(一四五・三メートル、比高一三〇メートル)にあり、平野の中央部にそびえて越中の東西を見渡せる軍事上の要衝。城名は山麓の白鳥神社に由来するとされる(三州志)。城山一帯の山は呉服山(五福山)・呉服峰などとよばれ、この呼称は当城をさすことが多かったと考えられる。「三州志」は白鳥城・呉服山陣城を並記、二名一跡とし、金屋かなや村領の山にあったが、今は吉作よしづくり村領とする。現在は遊歩道が設けられ、一帯は城山公園となっている。

「源平盛衰記」巻二八(北国所々合戦事)によれば、寿永二年(一一八三)源義仲方の部将今井四郎兼平が「御服山」に陣したという。康安二年(一三六二)には桃井直常と戦った加賀越前軍勢が「御服峯」に拠ったとされる(「太平記」巻三八諸国宮方蜂起事付越中軍事)。こうした要衝に城郭が築かれたのは当然で、「三州志」は上杉謙信の越中進攻時、神保長職が築城して居城したとも、天正六年(一五七八)神保八郎左衛門が居城したとも伝えている。


白鳥城跡
しろとりじようあと

[現在地名]中条町羽黒 要害

櫛形くしがた山脈北端鳥坂とつさか山の支峰白鳥山(二九六メートル)にある。北方には胎内たいない川が流れ、西・南は急傾斜の断崖で、東には要害ようがいの沢が入りこむ。山頂からは中条町全域が見渡せる。遺構は南北に延びる山稜上に五条の堀と切崖で区画した高低差のある大小六郭が一列に並ぶ。各郭の東西両側には平均高さ二メートル・幅二メートルの桟敷状の小段が築かれ、とくに要害の沢に面する東南側には三〇段近くの小段が認められる。中央の一段高い郭が本丸と思われ、周囲に土塁がめぐらされ西側切崖下際に五条の畝形阻塞がみられる。東方鳥坂山へ続く尾根上には堀切・砦跡が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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