日本歴史地名大系 「白鳥城跡」の解説
白鳥城跡
しらとりじようあと
「源平盛衰記」巻二八(北国所々合戦事)によれば、寿永二年(一一八三)源義仲方の部将今井四郎兼平が「御服山」に陣したという。康安二年(一三六二)には桃井直常と戦った加賀・越前の軍勢が「御服峯」に拠ったとされる(「太平記」巻三八諸国宮方蜂起事付越中軍事)。こうした要衝に城郭が築かれたのは当然で、「三州志」は上杉謙信の越中進攻時、神保長職が築城して居城したとも、天正六年(一五七八)神保八郎左衛門が居城したとも伝えている。
白鳥城跡
しろとりじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報