相模鉄道(株)(読み)さがみてつどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「相模鉄道(株)」の意味・わかりやすい解説

相模鉄道(株)
さがみてつどう

神奈川県東部の横浜市から、中央部に位置する大和(やまと)市、海老名(えびな)市周辺に路線をもつ民営鉄道略称、相鉄(そうてつ)。相鉄グループの一部を構成する。横浜―海老名間の本線24.6キロメートル、二俣川(ふたまたがわ)―湘南台(しょうなんだい)間のいずみ野線11.3キロメートル、西谷(にしや)―新横浜間の相鉄新横浜線6.3キロメートル、貨物線である相模国分(こくぶ)―厚木(あつぎ)間の厚木線2.2キロメートルの計40.2キロメートルからなる。単線の厚木線を除き全線複線、電化されている。

 現在の相模鉄道は、1917年(大正6)12月18日に設立され、1921年9月に茅ヶ崎(ちがさき)―寒川(さむかわ)間(現在のJR相模線)を開業した(旧)相模鉄道を起源とする。同社は1931年(昭和6)4月に橋本まで路線を延ばした。一方、横浜から二俣川を経て厚木(開業時は海老名河原口)に至る路線は、神中(じんちゅう)鉄道が1926年5月までに開業させた。1927年に小田原急行鉄道(現、小田急電鉄)が新宿―小田原間を開通させると、終点を300メートル延伸して接続が行われたが、乗換えの不便さもあり、1941年11月に相模国分―海老名間に短絡線を設けて、海老名―相模厚木(現、本厚木)間で小田原急行鉄道へ乗入れを行った。同時に、相模国分―厚木間は貨物線になった。神中鉄道が、1939年に東京横浜電鉄の系列になり、(旧)相模鉄道も1941年に同電鉄の系列になったことで、1943年4月に(旧)相模鉄道が神中鉄道を吸収合併した。合併後の1944年6月に茅ヶ崎―橋本間が国有化されたことで、当時の相模鉄道には、旧神中鉄道の路線のみが残された。第二次世界大戦終戦前後の混乱期に、一時的に東京急行電鉄(東京横浜電鉄から改称。現、東急電鉄)へ経営を委託したが、1949年(昭和24)には経営権を回復した。

 電化は東京横浜電鉄傘下の時代から行われ、1942年に横浜―西谷間が、1944年までに西谷―海老名間も電化された。複線化工事は戦時中から開始され、1952年までに西横浜―希望ヶ丘間が、1957年には西横浜―横浜間が完成した。その後も複線区間は延伸し、1974年3月に海老名まで完成した。

 1976年4月にいずみ野線の二俣川―いずみ野間が開業した。1990年(平成2)4月にはいずみ中央まで、さらに1999年3月には湘南台まで延伸された。なお、いずみ野線建設と同時進行で沿線宅地開発が進められ、いずみ野、南まきが原、弥生台、緑園都市などの分譲地が開発された。

 1990年5月より日本民営鉄道協会の理事会で大手私鉄としてみなすことが了承され、以後、大手私鉄の一角を占めるようになった。2009年(平成21)9月に純粋持株会社の相鉄ホールディングス設立に伴い、鉄道事業は分社化されて現在の(新)相模鉄道に移行した。

 2019年(令和1)11月には、相鉄新横浜線の開業に伴いJR埼京線と直通乗入れが行われて東京都心の新宿、池袋と直結された。2023年3月には東急線との相互乗入れが開始された。

青木 亮 2023年4月20日]

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