神奈川県の中央南部、湘南(しょうなん)地方にある市。1947年(昭和22)市制施行。2003年(平成15)特例市に移行(2015年施行時特例市に名称変更)。JR東海道本線が通じ、茅ヶ崎駅からJR相模線(さがみせん)を分岐する。国道1号、新湘南バイパス、国道134号(旧、湘南道路)が通じる。相模原台地南縁から湘南砂丘帯上に広がり、台地上には縄文遺跡が多く、一部に弥生(やよい)遺跡、甘沼(あまぬま)横穴群などがあって、古くから開けていたことが知られる。平安後期に平氏の懐島(ふところじま)氏による開拓が進められ、東海道も通じていた。江戸時代には南湖(なんご)に東海道の立場(たてば)が設けられ、馬入(ばにゅう)川(相模川下流)河口の柳島は、須賀(すか)、馬入(平塚市)とともに港として栄えていた。東海道本線の茅ヶ崎駅開設(1898)後は、南の海岸地区が京浜の保養地、別荘地となり、海水浴場も開かれて、しだいに発展した。明治の作家国木田独歩(くにきだどっぽ)はこの地で世を終えている。
第二次世界大戦中に京浜からの疎開工場の受け入れで工業化が進み、戦後は首都圏整備法による工業開発地域に指定され、内陸型工場の進出が多くみられる。また、京浜への通勤者の住宅や大規模住宅団地の建設が相次いで、首都圏内でも都市化の著しい地域となっている。北部では酪農と園芸作物の栽培が盛んで、専業農家も少なくない。江戸時代には大岡家の領地で、菩提(ぼだい)寺浄見寺(じょうけんじ)には大岡忠相(ただすけ)をはじめ一族の墓地がある。7月の浜降祭(はまおりさい)は湘南第一の壮大な祭りで、早朝茅ヶ崎市・寒川町の30余基の神輿(みこし)の海中禊(みそぎ)が行われる。旧相模川橋脚は国指定史跡および天然記念物。海岸と相模川河畔にゴルフ場、青少年キャンプ場が広がり、国道134号沿いにサイクリングロードが設けられている。面積35.70平方キロメートル(境界一部未定)、人口24万2389(2020)。
[浅香幸雄]
『『茅ヶ崎市史』5冊(1977~1982・茅ヶ崎市)』▽『『茅ヶ崎市史 現代編』全10巻(2006~2008・茅ヶ崎市)』
神奈川県中南部,相模湾岸の市。1947年市制。人口23万5081(2010)。北東部は相模原台地の南西部に属し,南部は海岸砂丘地,西は相模川に限られる。平安後期成立の大庭(おおば)御厨(みくりや)の西部にあたり,1470年(文明2)の文書に〈ちかさき〉の地名が見える。江戸時代は藤沢~平塚間の間の宿(あいのしゆく)として東海道の茶屋町であった。1887年東海道本線が国府津(こうづ)まで開通して98年に茅ヶ崎駅が設けられ,東の藤沢市,西の平塚市と並んで,湘南保養地帯の一環として市街地化が進んだ。南湖(なんご)院などのサナトリウムや別荘も建てられた。第2次大戦中,東海道本線に沿う市街地の北部や,相模川沿いの低湿地に工場が設立され,戦後も京浜工業地帯の延長として工業化が進んだ。近年は大規模住宅団地の建設や北東部の丘陵地の宅地開発が進んでいる。相模川の砂利運搬用として1921年に開設された相模鉄道は44年国鉄(現JR)相模線となり,市域北部の住宅地を結ぶ通勤線となっている。毎年7月15日未明,南湖海岸で行われる浜降(はまおり)祭は,寒川神社をはじめ30余基のみこしが海中でみそぎをする勇壮な祭である。
執筆者:伊倉 退蔵
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